2012年8月22日水曜日

僕の話(警察に追い返された時の話)

ホームレスになって少ししてから僕は警察に行った。

明らかに事件だと僕も思ったし、

消費者センターや、労働基準監督署や、弁護士の人にも、

警察に行った方が良いと言われ、

行けば少しは何か改善案が出るかもしれないとの思いだった。


まず最初に行ったのは、寝泊まりしている公園やネカフェ近所の交番。

交番に入って、

強制的に部屋を追い出された件を伝えた。

すると、

「家賃は?家賃未払いだったんじゃないの?だったら追い出されて当然だよ」

「大体元々住んでたのはこの辺なの?まず住んでた部屋の近くの交番に行くのが普通でしょ?」

といった様な事を言われてしまった。


元々、おまわりさんに対して僕は良いイメージを抱いていなかったのだけれど、

流石にその言い方は無いだろうと思った。


細かい事情も聞かず、

「どうせ家賃未払いだったんでしょ?払わない方が悪いんじゃないの?」

とネチネチ言って来るので、

早々に諦め、元々住んでた部屋の近くの交番に行った。


二軒目の交番では割と丁寧な対応をしてくれた。

キチンと書類を作ってもらい、

追い出される日の一か月前くらいからの状況を事細かに説明し、

それを記録に取ってもらえた。


「これは難しいね」

担当していたお巡りさんがそう言った。

弁護士さんに相談した時に、

器物破損・窃盗・不法侵入の罪を確実に犯していると説明されたので、

これは犯罪だろうと僕は思っていた。

どういう事だろうと思っていると、

「誰が犯人か分からない」

との事だった。


それを調べるのが警察の仕事なんじゃないのか。

僕が犯人の証拠を持って来なきゃいけないのか。

なんだそれ。


担当した警察官が言うには、

荷物を持っていったのは管理会社なのか、僕の元雇い主の中谷社長なのか。

家賃は結局どうなっていたのか。

荷物がどこにあるのか。

それが問題だ。という事だったのだけれど、

そんなの個人レベルで調べれる訳が無いだろうと僕は思った。


最終的に、

「家賃が支払われていたのならば事件だけど、支払われていなければ事件ではない」

という事を言われた。

そして、

家賃を中谷社長が払っていなかった可能性が濃厚であるので、

これは刑事事件の範疇では無い。

という結論を出されてしまった。


せめて調査とかしてくれないんですか?

と僕も粘ったら、

「上の者に聞いてみる」

と、電話をかけてくれた。

でも結局、

「これは多分刑事事件じゃないと思うから、現時点での捜査は出来ない」

との答だった。


「多分」

とか

「恐らく」

とか、

そんな曖昧で良いのだろうか等という気持ちすら無くなってしまった。


どうでも良い。

警察なんかに頼った自分がバカだったのだ。


警察からしてみたら、

何かややこしいヤツが来たから適当に相手して追い返そうくらいの気持ちだったのかもしれない。


でも、

こっちは藁にもすがる気持ちで相談に行ったのだ。

「何とかなる方法があるかもしれない」

その気持だけで警察に相談しに行ったのに、

「多分刑事事件じゃないと思う」

という非常に曖昧な判断で追い返されてしまった。


もう二度と警察なんかアテにするかと思った。

2012年8月11日土曜日

僕の話(死について考えた日)

夏真っ盛りの季節に、

僕は相変わらずのホームレスだった。

先の希望は全く無い状況だった。


仕事があれば派遣で働き、

公園やネットカフェで寝るという生活。

毎日毎日イライラしていた。


二日間ご飯を食べなかっただけで、

頭痛が鳴り止まなくなってしまった事もある。

1日2日、食べなくても大丈夫だろうなんて以前は思っていたりもしたけど、

全然大丈夫じゃなかった。

頭痛はするし、

フラフラする。

精神的にもどんどん沈んでいった。


日雇い派遣の仕事は、相変わらず、滋賀県にある飲料を扱っている運送屋が多かった。

食事や水分をかなり節約していたので、

物凄く身体がしんどい日もあったけど、

働いているだけでも気が紛れた。

派遣の仕事が無いと、時間が潰せない。

公園で何時間も座っていたり、

100円マックで何時間も過ごしたり。

ブックオフで立ち読みしたり。

気がおかしくなりそうだった。


日雇い労働だけが心の救いだったのだけれど、

僕は仕事中に大きなミスをしてしまった。

しかも2日連続で。


「A」という店に行くハズの荷物を、

他店に行く荷物の中に、大量に混ぜてしまった。

当然、「A」という店には注文したハズの荷物が全く届かず、

他店に、注文していない荷物が大量に届いてしまった。

そんな初歩的で、しかもあってはならないミスを、

2日連続で犯してしまった。


自分でもビックリする程落ち込んだ。

高校を卒業してから、僕はずっと働いた。

働かなきゃダメだからという理由もあるけど、

仕事自体が楽しかった。

ホームレスになってからも同じだった。

しんどい肉体労働でも、仕事は楽しかったし、

家が無くてもお金が無くても、仕事だけは頑張ろうと思っていた。

でも、最悪なミスをしてしまった。


そのミスを、寝る直前まで僕は引きずっていた。

「あーもう何もかもダメだイヤだどうしようもない死にたい逃げたい消えたい」

そんな事ばかり考えてしまう。


公園の固いベンチに寝そべって、

「もうイヤだ、もうイヤだ、もうイヤだ、もうイヤだ」

ひょっとしたら声にも出ていたかもしれない。

「もうイヤだ」以外の言葉が考えられなくなった。

何時間もそうしているうちに、「イヤだ」と考えるのもイヤになった。


このまま死んでしまおうか。

でも死ぬのなんて嫌だし無理だし。

でもこのまま放っておいても、冬になったら死んでしまうんじゃないか。

公園で冬が越せる訳無いし。


「あー僕は冬になったら死んじゃうんだ」

そんな事を考えだした。


「死ぬ時ってどんなだろう」

中学生くらいの時から、何回も何回も考えたけど、

いまいち、パッとしたイメージが持てなかった。

でも、流石にホームレス生活をしていると、随分具体的になって来る。


死ぬ直前て、ひょっとしたら人生で初めての自由な時間なんじゃないだろうか。

死ぬ直前、もし15秒でも30秒でも思考する時間があったなら、

その時間というのは、生まれて初めての、自分だけの時間なんじゃないだろうか。

世間とか、親とか、知り合いとか、何もかも関係が無い時間。

自分だけの時間。

その時に、一つだけでも自分が納得出来るモノがあれば良いなぁ。

もし、今日死んでしまったら、仕事でミスって落ち込んだテンションのまま死ぬのかなぁ。

それは嫌だなぁ・・

最後くらい「良い事なかったけど、これだけは頑張れた」と思って死にたいなぁ・・・


何だかそんな事を考えだしてしまった。

我ながら中学生みたいだなぁなんて思ったけど、

そういえば大人になってからはあんまり死ぬことについて考えてなかった事に気付いた。


最後に一つだけ自分が納得出来る物が欲しいなと思った時、

やっぱり仕事だと思った。

他に楽しい事が見つかればそれでも良いのだけど、

僕には見つかりそうも無い。

元々、仕事をしている時間が一番好きだったし、一番楽しかったから、

仕事でミスをした事を死ぬ直前に思い出すんじゃなくて、

頑張って良い結果を出せた事を思い出したいなぁ。なんて考え出していた。


ホームレスになって初めて、

「明日も頑張ろう」と思えた。


2012年8月9日木曜日

僕の話(ホームレス生活は続く)

「家が無い人の弁護は出来ない」

弁護士さんにそう言われてしまった僕には、

もう良い案は何も思い浮かばなかった。


相談出来る相手もいない。

ただただ、製菓工場で働くしかなかった。


でも、製菓工場での仕事の終わりがやって来た。

祇園祭が始まる頃だった。


製菓工場での仕事が終わる事を知った僕は、

すぐに新しい仕事を探した。

でも、見つからない。


寮付きの仕事や、

日当1万円くらいもらえる派遣の仕事にもいくつか応募したけど、

面接すらしてもらえなかった。

どうやら、応募が殺到しているらしい。


3.11の震災の影響もあったりするのだろうか。

震災後、倒産した中小企業も多いと聞いた。


毎晩、ネットカフェで仕事を探したけど、

結局すぐお金になりそうな仕事は無く、

僕はスポット派遣の会社に登録した。

日雇い労働だ。


製菓工場での仕事が終わった次の日、

スポット派遣の会社に行き、スタッフ登録をした。

スポット派遣というのは、常駐型派遣と違い、

仕事があれば回しますね、というスタイル。

仕事がもらえるかどうかは、前日じゃないと分からない。


運良く、登録した次の日には、運送屋での仕事が入った。

飲料水を扱っている会社だった。


その会社は滋賀県にあり、

電車で滋賀まで行き、そこからは30分程歩いて向かう。

現場近くまで行くバスも出ているのだけど、

バス代をケチる為に、僕は歩いて行った。


まさに運送屋といった雰囲気で、

体育会系の雰囲気の従業員が多かったのを覚えている。

仕事は、思っていたよりもキツくはなかった。

以前、某物流会社での仕分けの仕事をした経験があったので、

それに比べれば、楽な仕事だと思えた。

日当6千円。


出荷する店舗ごとの大きなカゴ付きの台車に、飲料水のケースを20ケースほど積み、

そのカゴ付きの台車を、トラックの前まで運んでいく。

クーラーも何も無い倉庫内はしんどかったが、

ちゃんと休憩も取らせてくれて、比較的良心的な会社の様に思えた。


仕事内容は大丈夫だったのだけれど、

問題は、毎日仕事がもらえないという事だった。

スポット派遣は、忙しい日しか呼んでもらえない。

ベテランの人は、毎日入っていたみたいだったけど、

やはり新人はあまり呼んでもらえないみたいだった。

そこの運送屋の仕事が無い日は別の現場を紹介してもらいたかったけど、

あまり紹介してもらえなかった。

丁度夏休みで、大学生も多数登録している様だった。

登録スタッフに対して、仕事の量が見合っていない様子だった。


毎日仕事がある訳ではなく、

収入も極端に不安定になってしまい、

公園で寝る日が多くなった。


夏の暑い日に、公園の固いベンチでは熟睡出来るハズも無く、

3時間程度寝ては起きて、また寝ては起きての繰り返しが続いた。

屋根が無いので、

「何か冷たいな」と思って目を覚ましたらもうずぶ濡れという事もあった。


雨の日は、公園の障害者用トイレや、

僕が追い出されたアパートの屋上にある、洗濯機置き場に侵入して寝ていた。

商店街の店先で寝たこともあるが、さすがに警官に起こされた。


食事も、ほとんど100円均一の店で買うようになった。

100円で、4個くらい入っているパン(チョコレートが中に入っている)をよく食べた。

あまりにもお金が無い時は、

BIGサンダーというチョコレートを買って、1枚で二日間過ごしたりもしていた。

何となく、カロリーが高そうだという理由で、BIGサンダーをよく食べたのを覚えている。


夏、公園で寝ていると、

周りは楽しそうな人ばかりだった。

仲の良さそうなカップル、花火をしている人達、ビールを飲んでいるサラリーマン。

ベンチで寝ている僕をどう思っているのだろう。

公園のあちこちから楽しそうな声が聞こえてくる度に、

悔しさと恥ずかしさに襲われた。


この生活に終わりが来る気が全くしなかった。

2012年8月7日火曜日

僕の話(ホームレスの弁護は出来ないと言われた話)

工場から帰ると、家の鍵が付け替えられていた。


まさかこんなにあっけなくホームレスになってしまうとは想像もしていなかった。

ホームレス。

まさか自分がホームレスになってしまうとは。


数日前、部屋の荷物を持って行かれた時に、

軽はずみに動くのではなく、弁護士さんとちゃんと相談しながら解決して行こうと決めたので、

この日も、中谷や管理会社に電話するのを堪えた。

電話した所で、ちゃんとした話し合いが出来るとも思えなかった。


いつまでもドアの前で突っ立っている訳にも行かないので、

ひとまずネカフェに向かった。

ネカフェ難民だ。

TVで見たことがある。

ネットでもよく記事を見かけた。


ちょっと前まで、

「どういう状況でネカフェ難民になってしまうんだろう?」

なんて思っていたけど、

案外あっさりと堕ちて行く人も多いのかもしれないなぁと思った。


ネットカフェ。

6時間パックで1500円。

入店してすぐ寝たとしても、起きてシャワーも浴びたいし、

7時間ちょっとくらいはネカフェに滞在する事になる。

そうなると、一泊約2000円ほど。


「ネカフェ難民」なんて言葉が出来るくらいだから、

ネカフェで何とか生活出来るのだろうと思っていたのだけれど、

甘かった。


その時の僕の日当は一日5000円~6000円程。

ネカフェで2000円。

食事で1000円。

荷物を預けるコインロッカー代が200円。

コインランドリー代が400円。

それ以外に、

交通費や、細々とした出費。

週7日でずっと働ければ、死ぬことは無い。

でも、そろそろ仕事が少なくなる時期だというのは分かっていた。

祇園祭が過ぎると、僕の行っていた工場は暇になるので、

暇になったら働けないと言われていた。

それに、弁護士さんに相談をしに行くのであれば、

その日は働けない。

一日でも収入が無い日があると、ネカフェには泊まれなくなる。


公園には泊まりたくない。

暑いし、虫も多いし、そして何より恥ずかしい。


先の事を考えると、どんどん気分が沈んでいく。

このまま死んでしまうんじゃないかと思えた。


「弁護士さんが何とかしてくれるに違いない」

その希望だけを頼りに、ネカフェと工場を往復した。

工場の人に「荷物多くない?」と聞かれた時はさすがにドキッとした。

コインロッカーに入りきらないものはカバンに入れて持ち歩いていたのだ。


ネカフェなんかで熟睡出来るハズもなかったけれど、

何とか日々の仕事をこなし、

ついに弁護士さんの所へ行く日がやって来た。


事前に、法テラスに電話をして相談の予約をしておいた。

どうやら、勝訴の見込みがある案件に関して、裁判費用を立て替えてくれるらしい。

どうなんだろう。

明らかに不法行為だとは思うのだけど。


当日。

法テラスで、申込書を書く。

住所の欄は空白で提出した。

申込書を提出した後に、法テラスに所属している弁護士さんとの面談があった。

法テラスに何名か弁護士さんが常駐しているらしく、

その中の一人がランダムで選ばれる。

こちらから事前に指名したりすることは出来ない。

どういった経歴の弁護士さんなのかも分からない。


僕が案内された相談室には、

「田岡」という弁護士さんがいた。

40歳前後くらい。

あまり愛想は良くない。


挨拶の後、聞き取りが始まった。

僕が中谷の所で働き出してから、

アパートの鍵を付け替えられるまで。

中谷から受け取った金額や、受け取っていない給料の金額。

アパートの管理会社と中谷との関係。

アパートを追い出されてからネカフェで暮らしている事。

事前にまとめていたので、すんなりと説明出来た。


僕の話を聞いた弁護士さんが言うには、

まず間違いなく勝てるとの事だった。


・不法侵入

・器物破損

・窃盗

・契約不履行


ひょっとしたらまだまだ出て来るかもしれないが、

今の段階では、上記の4つには確実に当てはまると。

持っていかれた荷物、慰謝料の請求は可能だし、裁判所も認めるだろうとの事だった。

もし持っていかれた荷物が既に処分されていた場合、

それに充当するお金を請求する事も出来ると。


「裁判に勝てるんですか?」

と聞くと、

「この状況だと間違いないですね。これは明らかに不法行為です」


「ただ、家が無い人の弁護は出来ないですね」


あっさりとそう言われてしまった。


裁判を起こすとなると、

当然書類のやり取りが必要な場面も出て来る。

それに、裁判費用は分割請求になるから、回収もしなければならない。

そうなって来ると、住所不定の人の弁護というのは無理。という話だった。


確かに理屈としてはそうなんだろうけども。

実際に不法行為によって住所が無くなってしまっているんだし、

裁判には勝てるんだったら何とかならないのだろうか・・・


田岡という弁護士はその後も、

「実家に帰らないというのはおかしい」という話を延々として来た。


「何かあったら親兄弟に頼るのが普通」

「どんな事情があっても家族内で助け合うのが普通」

「役所に行ったらどこに住んでいるのか分かるよね?」

「何で実家の場所を知らないの?」


同じような事を何回も何回も聞いてくるので、さすがにうんざりした。


何回も何回も、

両親がどこに住んでいるのか今は分からない事、

両親の連絡先も知らない事、

弟はいるが、弟の連絡先も知らない事を説明した。


そのたびに、

「いやぁ、それはおかしいよ」

と弁護士さん。


弁護士さんに相談に行ったら何とかなるというのは、

僕の思い込みだったみたいだ。

いや、住所があったら何とかなったのかもしれない。

ホームレスになってしまった時点で、

弁護士さんは助けてくれないのだろうと思った。

弁護士さんも商売だ。

お金が回収出来ない可能性のある仕事をする必要は無い。

ちゃんとお金が回収出来そうな依頼人が毎日相談に来ているのだろう。


「住所が定まったら改めて相談に来てください」

という事で、初回の相談は終わった。


「住所があれば動いてくれるのだろうか・・・」

今のままでは、部屋なんて借りれない。

部屋さえ借りれたら、ひょっとしたら荷物も帰ってくるのかもしれない。


でも、

僕はまだ頑張れるのだろうか。

「住所があれば裁判が出来る」

そんな不安定な希望のみで頑張れるのか。

法テラスからの帰り道、

無性に頭を掻きむしったのをよく覚えている。

もう、どうすれば良いのか全く分からなかった。

荷物を持って行かれてから、

「弁護士さんに相談すればきっと解決するはずだ」

というあやふやな希望に賭けて毎日過ごしていた。

その希望もほとんど断たれてしまった。

部屋を借りれる見込みなんて全くなかった。

もう何も考えられなくなった。


お金の事は心配だったけど、その日も夜はネットカフェに泊まった。

「何かしなきゃ」

という思いで、

付近の弁護士事務所を検索してみたり、

マンスリーマンションについて調べてみたりしていたが、

ただ調べているだけで、何も意味が無い事は分かっていた。

今の状態では弁護士さんは頼れないし、

マンスリーマンションを借りれるお金も貯まらない。


「詰んだ」

一回そう思ってしまうと、もう何も考えられなくなった。

2012年8月5日日曜日

僕の話(ホームレスになった日)

僕は相変わらず製菓工場で働いていた。

京都ならではの和菓子を製造している工場だ。

水ようかんやら、和テイストのゼリーやらを、

毎日毎日作っていた。


「次に部屋に入る人が決まったから、部屋から出てってくれ」

という訳の分からないメールが来た後も、

特に何も変化は無く、

せっせせっせと工場で働いた。

滞っていた支払いにも追いつき、

食事も三食食べれる様になった。

伸びっぱなしだった髪の毛も、

ちゃんと美容室でカットしてもらった。


製菓工場のパートのおばちゃんとも仲良くなってきて、

工場での仕事も意外と楽しいのかもしれないと思ってきた。


室温が40度近くなる工場内で、

上から下まで分厚い衛生服を着ての作業は、

とてもキツくて、一日何人かは倒れていたのを覚えているが、

僕の場合、何だかんだ言いながらも、

しんどいブルーカラーの仕事も楽しめる自分の性格に助けられたのだと思う。

訪問販売の営業から、

ネット上でも評判があまり良くない、某物流会社での仕事まで経験していたので、

多少劣悪な環境での仕事でもストレスは溜まらなかった。


中谷の会社を辞めてから丁度一ヶ月半が経とうかとしていた。

いつも通り、夜22時頃、僕は布団に入った。

朝が早い仕事の為、今までよりも早く寝付く週間が付いていた。


布団に入ってしばらくして、

ウトウトし始める。丁度一番気持ち良い時間帯だ。

その時、

ドアがノックされた。

ゴンゴン、ゴンゴン、という音は、恐らくアパート中に響き渡ったと思う。


中谷だ。と思った。

それ以外に考えられなかった。

まさか本当に追い出すつもりだろうか?

正当な理由も手続きも無く?

そもそも何で追い出したいんだろう?

管理会社は何を考えているんだろう?

瞬時に色々な考えが頭の中を駆け巡った。


ガチャリ。

鍵を回す音が聞こえた。

どうやら合鍵をもらって来たらしい。

そこまでするかと。

こんな夜中に普通それは無いんじゃないかとちょっと笑ってしまった。


ボロボロで、

しかも住んでいる人の半分以上はワケありっぽい雰囲気の人ばかりのアパートだったので、

僕はいつもドアにチェーンを付けていた。

そのおかげで部屋に入られる事は無かった。


チェーンを切断する以外に、

この部屋に侵入する方法は無い。

疲れていた僕はそのまままた毛布をかぶり、しばらく経つとそのまま寝てしまった。


翌朝。

いつも通り朝ごはんを食べ、

シャワーを浴び、

仕事の用意をして家を出る。

ドアを開けた時、

メモが挟まっている事に気付いた。


「次に入居する人が決まっているのに引っ越さないから、管理会社の人も怒っている。

連絡が無かったら部屋の荷物も全部出すと管理会社も言っている」

との内容だった。


もう意味が全く分からなかった。


すぐ、弁護士さんに相談に行こうと思った。

こんな人達とマトモに話し合えるハズが無い。

大人だったらちゃんと正式な手続きを踏んで行くものだろうと。

正式な手続きも踏まず、

次の入居者が決まっているからという理由で追い出せるハズが無い。


その日の昼休み、

思いつく限りの機関へ電話した。


不動産関係の組合、消費者センター等々。

どこに電話しても、

「そんな理由で追い出す事は絶対に無理」という答えだった。

それはそうだろう。


それに、管理会社の人間が家に来るのならまだ分かるが、

何故、中谷が鍵をもって来るのか。

もちろん、委任状も何もない。

本当に何もかもが意味が分からない。


その日もいつも通り仕事を終えたが、

夜中にまたドアをノックされたら困るなと思い、

ネットカフェに泊まる事にした。

近々休みを取って、

弁護士さんの所に相談しに行こう。

そう思い、ネットカフェで法テラスの事や、

近くにある弁護士事務所を調べた。


翌日、近日中に一日休みを取りたいと伝えた所、

もうしばらく待って欲しいと言われた。

もうすぐ祇園祭だった。

祇園祭前になると、和菓子の製造数が跳ね上がる。

確かに時期が悪いなと思った。

早めに動きたいという気持ちもあり、焦っていたが、

何とか翌週に一日休みをもらうという事で落ち着いた。


来週、弁護士さんの所に相談しに行こう。

それできっと解決するハズだ。

仕事中も、弁護士さんにどう話すのかで頭がいっぱいだった。

まずどこから話せば良いのやら。

弁護士さんに相談するなんて事が今まで無かったので、

何か書類に纏めた方が良いのだろうか、

必要な物はあるのだろうか、

不安だった。

帰ったら、中谷の所で働き出した頃からの出来事を、

時系列にまとめてみよう等と考えているうちに、

あっという間に仕事が終わった。


いつも通りスーパーに寄って帰る。

ご飯を食べて、弁護士さんに渡す為の資料を作ろう。

そんな事を考えながらアパートに着く。


鍵を回した。

気のせいか、いつもと空気が違う様な気がした。

ドアを開け、部屋に入る。


そこには何も無かった。

この部屋に入居した時と同じ景色だった。

唯一の違いは、冷蔵庫。

冷蔵庫だけは取られなかったようだ。

次に住む人の為に残しているのかなぁなんて、変に落ち着いていたのを覚えている。



布団も、机もPCも。

本もCDも服もみんな無くなっていた。

昨夜持って行かれたのだろうか。

ミスった。

昨夜ちゃんと帰っていれば良かった。


これからどうなるんだ。

服は、今着ているTシャツとズボンと靴下しか無い。

部屋にお金は置いてなかったから、お金は大丈夫。取られていない。

所持しているものは、財布とiPhoneとiPod。

これだけで生きていけるのだろうか。

無理だろうどう考えても。


管理会社と中谷に怒りの電話をかけようと思い、止める。

冷静になった方が良いと思った。

多分、ちょっとでも間違えたらもう取り返しがつかなくなる気がした。

一番良いと思われる案は、

やはり弁護士さんだろう。

弁護士さんがどういった事をしてくれるのか全然分かっていない癖に、

何故か弁護士さんが一番頼りになると思っていた。


幸い、部屋の鍵は変えられていない。

いつまでこの部屋に入れるのかは分からないが、

とりあえず寝る事は出来るし、水しか出ないが、シャワーも浴びれる。

とりあえず焦らず、一番良い道を進もう。


次の日も、沈んだ気持ちを奮い立たせて何とか工場で働いた。

次の休みの事しか考えられなかった。

次の休みの日、弁護士さんの所へ相談に行こう。

あまり好きじゃないが、警察にも行ってみよう。


移動中もiPhoneで色々な法律の事や、

似たような事件が過去に無かったのか調べていた。

何もない部屋に帰るのは何だか気分が重い。

働いている間は何とか現実逃避が出来るけど、

何も無い部屋に帰ると、途端に現実を思い知らされるだろう。

気を紛らわす為、

ユニクロで着替えのTシャツとパンツと靴下を買う。

ユニクロがあって良かった。心からそう思えた。


アパートに着き、鍵をドアに差し込む。

回らなかった。

一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。

何度も何度も鍵をガチャガチャ言わせ、

ようやく鍵が付け替えられた事に気付いた。


ホームレスになった。

2012年8月2日木曜日

僕の話(ホームレスになる直前)

なかなか就職が見つからなかった僕は、

以前の仕事仲間、中谷が経営している会社に社員として入社しました。


入社後、僕は営業部の主任という形で勤務を開始した。

NTTを辞めて入社して来た人や、

同業他社から引き抜いて来た人もいて、

以前より中谷はやる気になっている様に見えた。


休みは週一回だが、何曜日に休むのかを割と自由に決めれたので、

就職活動を再開したい僕には丁度良かった。


社員として入社した以上、辞めるまでは全力で働きたかった。

毎日遅くまで外回りをし、帰社してからデスクワークをし、

家に帰ってからも仕事をした。


中谷も、以前の様なサボり癖はあまり出てなく、

毎日頑張っている様だったので、少し安心した。


だが。

一ヶ月目の給与が支払われない。


昔の仕事仲間にあまり金、金と言いたくはないが、

こっちも社員として毎日働いている以上、

もらうべきものはもらわなくてはならない。

こっちにも生活があるのだ。

引っ越したばかりで貯蓄もあまり無かった。


結局、家賃、ガス、電気代、携帯代の請求書を中谷に見せ、

代わりに払ってもらう事になった。

生活費として、一週間で3000円~5000円程度もらった。


お金が回っていない様には見えなかった。

僕が入社する前も、

給与はきちんと払うという約束だった。


一瞬、「辞めよう」と思ったが、

辞めたら辞めたで、生活が出来ない。

一週間分の生活費も無い状態で、イキナリ辞める訳にはいかなかった。

それに、辞めた後、未払いの給料が払ってもらえるかどうかという不安があった。


勤務して二ヶ月が過ぎた頃、

中谷がお金を渡すのを渋り出してきた。

おかしい。

売上はどこに行ってるんだろう。

相変わらず家賃等は中谷に払ってもらっていたので、

僕はどんどん身動きが取れなくなって行った。


中谷の仕事の仕方は好きじゃなかったが、

普段は仲が良かったし、信頼もしていた。

まさか裏切られるのだろうか。

そういう考えが頭をよぎる様になった。


入社して三ヶ月少し経った頃。

全くお金がもらえなくなった。

携帯が止まり、ガスも止まりそうだった。

食事は一日一食になった。

米を買うお金も無く、

うどんやカップラーメンを食べる様になった。

毎日働いているのにお金が無いという状況は、

全く意味が分からなかった。


もうその頃から僕は会社に行かなくなった。

そこまでして中谷の会社で働く必要性が無かった。

毎日毎日お金の催促をした。

払ってもらわなければ死んでしまう。


会社に行かなくなって一週間程度経過した後、

中谷から、

「ポストにお金を入れといたから」というメールが来た。

すぐにポストに走りたかったが、

もう2日も何も食べてなかったので、のそのそと歩いていった。


ポストに入っていたのは三万円だけだった。

信じられなかった。

すぐに電話代を払って電話をした。

「給料はどうなってる?」と問い詰めると、

「そんな最初の頃の話を持ちだして来られても困る」と。


全てがどうでも良くなった。

最初から払わないつもりで雇ったのかもしれない。

売上を持ち逃げするつもりだろうか。


もう話をするのも馬鹿らしくなって、すぐに電話を切った。

とりあえず、とりあえず当面の生活費は出来た。

一週間は生活出来るだろう。

すぐに仕事を探した。

幸運な事に、製菓工場での短期の仕事があった。

給料は週払い。

日当が6000円程度しか無いが、

それでもとりあえずは働いた。

本当はいけない事なのかもしれないが、

週七で働いた。

とりあえずはお金が欲しかった。


製菓工場で働き出してすぐ、ガスが止まった。

未納が続いていた為だ。

この位の時期は、

給料をもらっては支払い、給料をもらっては支払いという状態だった。

製菓工場で働き出して一ヶ月が経とうかという頃、

遅れていた支払いも済ませ、だいぶマシな生活が送れる様になってきた。


そんな頃、中谷からメールが入ってきた。

「管理会社の社長が連絡を取りたがっている。次に入る人も決まってるから、

今月末までに荷物を出す様に」


呆れた。

呆れ果てた。

どういう頭の構造をしているのだろうと思った。


まず、部屋の契約をしているのは僕自身だから、

何か連絡事項があれば僕に直接連絡して来るべきだ。

何らかの事情で部屋を出て行って欲しいのであれば、

キチンとした手続きを踏んで、告知するべきだ。

それが、「次に入居する人も決まっているから」というのはどういう事か。

僕は無視をする事に決めた。

そんな事が出来るハズが無いし、

中谷が何をしたいのかが分からなかった。

何かの駆け引きでもするつもりで、脅して来ているのだろうかとも思った。


管理会社自体は、何年も続いている、割とちゃんとした会社だったので、

もし、何らかの理由で退去して欲しくなったら、

ちゃんと手続きを踏んで来るだろう。

そう思っていた。