2012年8月22日水曜日

僕の話(警察に追い返された時の話)

ホームレスになって少ししてから僕は警察に行った。

明らかに事件だと僕も思ったし、

消費者センターや、労働基準監督署や、弁護士の人にも、

警察に行った方が良いと言われ、

行けば少しは何か改善案が出るかもしれないとの思いだった。


まず最初に行ったのは、寝泊まりしている公園やネカフェ近所の交番。

交番に入って、

強制的に部屋を追い出された件を伝えた。

すると、

「家賃は?家賃未払いだったんじゃないの?だったら追い出されて当然だよ」

「大体元々住んでたのはこの辺なの?まず住んでた部屋の近くの交番に行くのが普通でしょ?」

といった様な事を言われてしまった。


元々、おまわりさんに対して僕は良いイメージを抱いていなかったのだけれど、

流石にその言い方は無いだろうと思った。


細かい事情も聞かず、

「どうせ家賃未払いだったんでしょ?払わない方が悪いんじゃないの?」

とネチネチ言って来るので、

早々に諦め、元々住んでた部屋の近くの交番に行った。


二軒目の交番では割と丁寧な対応をしてくれた。

キチンと書類を作ってもらい、

追い出される日の一か月前くらいからの状況を事細かに説明し、

それを記録に取ってもらえた。


「これは難しいね」

担当していたお巡りさんがそう言った。

弁護士さんに相談した時に、

器物破損・窃盗・不法侵入の罪を確実に犯していると説明されたので、

これは犯罪だろうと僕は思っていた。

どういう事だろうと思っていると、

「誰が犯人か分からない」

との事だった。


それを調べるのが警察の仕事なんじゃないのか。

僕が犯人の証拠を持って来なきゃいけないのか。

なんだそれ。


担当した警察官が言うには、

荷物を持っていったのは管理会社なのか、僕の元雇い主の中谷社長なのか。

家賃は結局どうなっていたのか。

荷物がどこにあるのか。

それが問題だ。という事だったのだけれど、

そんなの個人レベルで調べれる訳が無いだろうと僕は思った。


最終的に、

「家賃が支払われていたのならば事件だけど、支払われていなければ事件ではない」

という事を言われた。

そして、

家賃を中谷社長が払っていなかった可能性が濃厚であるので、

これは刑事事件の範疇では無い。

という結論を出されてしまった。


せめて調査とかしてくれないんですか?

と僕も粘ったら、

「上の者に聞いてみる」

と、電話をかけてくれた。

でも結局、

「これは多分刑事事件じゃないと思うから、現時点での捜査は出来ない」

との答だった。


「多分」

とか

「恐らく」

とか、

そんな曖昧で良いのだろうか等という気持ちすら無くなってしまった。


どうでも良い。

警察なんかに頼った自分がバカだったのだ。


警察からしてみたら、

何かややこしいヤツが来たから適当に相手して追い返そうくらいの気持ちだったのかもしれない。


でも、

こっちは藁にもすがる気持ちで相談に行ったのだ。

「何とかなる方法があるかもしれない」

その気持だけで警察に相談しに行ったのに、

「多分刑事事件じゃないと思う」

という非常に曖昧な判断で追い返されてしまった。


もう二度と警察なんかアテにするかと思った。

2012年8月15日水曜日

僕の話(ホームレス中の性処理の話)

ホームレスになってしばらく忘れていたもの。

「性欲」


ある程度年配のホームレスやネカフェ難民の方だとまた違うのかもしれないけど、

僕は当時25歳。

真っ盛りだ。



こればっかりは仕方のない話だと思うのですが、

男性は、ある程度、出してやらないと大変なのです。


ホームレスになって一週間くらいは、

色々とショックでそんな事考える余裕も無かったのだけれど、

人間の身体というのはとても正直なもので、

一週間を過ぎた辺りから、朝から晩までムラムラしだした。


日雇い労働の職場にいる、パートのおばちゃんを見てもムラムラしてしまう。

ちょっと老けてるけど、意外と目が大きいんだなぁとか、

余計な事を考え出してしまう。


僕は試写室に行った。

試写室と言うと、何だかジメジメしてそうな場所で、

いかにもアヤシイ人達が入っていくというイメージだったけど、

最近の試写室は、一昔前の試写室とは全然違います。


簡単に言ってしまうと、

ネカフェのアダルト版というか。

個室は完全個室。

ネカフェの様に隣の物音が聞こえるなんて事も無い。

PCもTVもあって、

シャワーもネカフェと同じように使える。

ナイトパックの料金も、ネカフェとほぼ同じくらいの料金だったので、

眠る場所と性欲の問題が同時に片付いた。


なので、ムラムラした日は、試写室に泊まる事に決めました。


初めて試写室に入った時、

アダルトDVDを、5枚までカウンターでレンタル出来るという事だったので、

相当吟味した。

なにせ二週間ぶりくらいだったので。

僕のお気に入りの女優さんのDVDも幾つかあった。

男性というのは単純なもので、

どんな状況でも、お気に入りのAV女優のDVDが見れるとなると、

ウキウキしてしまうのです。


30分以上吟味し、カゴに5枚のDVDを入れて、カウンターへ。

パックは勿論ナイトパックにした。

部屋番号が書かれた札と、DVDが一緒に入ったカゴを渡された後、

もう一つカゴを渡された。


大人のおもちゃとローションだった。

僕は大人のおもちゃを使ったことが無い。

何だか一回使ったら後には戻れない様な、そんなイメージだったので。


おもちゃは別に使わなくても良いが、

もし使ったら、退店時に料金を支払うという形態らしい。

それはちょっと恥ずかしい。

出来ればこっそり使ってみたい。


そう思いながら、僕が泊まる部屋に向かっている途中、

おもちゃの自販機があった。

カウンターで払うのが恥ずかしい人用なのかもしれない。


部屋に入り、すぐさま僕は全裸になった。

ネカフェと違い、完全に個室だったので。

素っ裸の僕は、そのままDVDを再生した。

久しぶりのAV。

感動した。


中学生の頃、となり町のエロ本屋まで、

自転車で1時間かけて立ち読みをしに行った時の感動を少し思い出した。

気づいたら一人でローションまみれになっていた。


今思い返せば最低だ。

試写室の個室の中で、25歳のホームレスの男が全裸でローションまみれ。

もちろん、おもちゃも着用済みだ。

「もぉー娘。」というふざけた名前のおもちゃだった。

「汚物」としか言い様が無いと思う。


でも、

男性にとって、性欲処理というのは、それほど大事な問題なのだ。


オナニーをした後は、

不思議と、落ち込んでいた気分が少し晴れたりもした。

オナニーをした後は、感情がニュートラルになる。

「よし、これからどうしようかな」という様な気分になってしまう。


実際、溜め込み過ぎるのは危険だ。

街を歩いていても、ついつい女性の胸や脚を凝視してしまう。

満員電者に乗っている時、

少し女性の身体が当たっただけでも興奮してしまう状態だった。

痴漢をしてしまう人の気持が分かりかけてきて、

自分でもかなり危うい状態だなぁと思っていたのだけれど、

やはりちゃんと処理さえすれば、その状態から立ち直れた。

人肌が恋しいとか、寂しいという感情はどうしようもなかったけれど。


男性は割と定期的にオナニーをしたら、

精神的にも少しは安定したりもするので、

もしホームレスになっても、忘れないであげて下さい。

2012年8月11日土曜日

僕の話(死について考えた日)

夏真っ盛りの季節に、

僕は相変わらずのホームレスだった。

先の希望は全く無い状況だった。


仕事があれば派遣で働き、

公園やネットカフェで寝るという生活。

毎日毎日イライラしていた。


二日間ご飯を食べなかっただけで、

頭痛が鳴り止まなくなってしまった事もある。

1日2日、食べなくても大丈夫だろうなんて以前は思っていたりもしたけど、

全然大丈夫じゃなかった。

頭痛はするし、

フラフラする。

精神的にもどんどん沈んでいった。


日雇い派遣の仕事は、相変わらず、滋賀県にある飲料を扱っている運送屋が多かった。

食事や水分をかなり節約していたので、

物凄く身体がしんどい日もあったけど、

働いているだけでも気が紛れた。

派遣の仕事が無いと、時間が潰せない。

公園で何時間も座っていたり、

100円マックで何時間も過ごしたり。

ブックオフで立ち読みしたり。

気がおかしくなりそうだった。


日雇い労働だけが心の救いだったのだけれど、

僕は仕事中に大きなミスをしてしまった。

しかも2日連続で。


「A」という店に行くハズの荷物を、

他店に行く荷物の中に、大量に混ぜてしまった。

当然、「A」という店には注文したハズの荷物が全く届かず、

他店に、注文していない荷物が大量に届いてしまった。

そんな初歩的で、しかもあってはならないミスを、

2日連続で犯してしまった。


自分でもビックリする程落ち込んだ。

高校を卒業してから、僕はずっと働いた。

働かなきゃダメだからという理由もあるけど、

仕事自体が楽しかった。

ホームレスになってからも同じだった。

しんどい肉体労働でも、仕事は楽しかったし、

家が無くてもお金が無くても、仕事だけは頑張ろうと思っていた。

でも、最悪なミスをしてしまった。


そのミスを、寝る直前まで僕は引きずっていた。

「あーもう何もかもダメだイヤだどうしようもない死にたい逃げたい消えたい」

そんな事ばかり考えてしまう。


公園の固いベンチに寝そべって、

「もうイヤだ、もうイヤだ、もうイヤだ、もうイヤだ」

ひょっとしたら声にも出ていたかもしれない。

「もうイヤだ」以外の言葉が考えられなくなった。

何時間もそうしているうちに、「イヤだ」と考えるのもイヤになった。


このまま死んでしまおうか。

でも死ぬのなんて嫌だし無理だし。

でもこのまま放っておいても、冬になったら死んでしまうんじゃないか。

公園で冬が越せる訳無いし。


「あー僕は冬になったら死んじゃうんだ」

そんな事を考えだした。


「死ぬ時ってどんなだろう」

中学生くらいの時から、何回も何回も考えたけど、

いまいち、パッとしたイメージが持てなかった。

でも、流石にホームレス生活をしていると、随分具体的になって来る。


死ぬ直前て、ひょっとしたら人生で初めての自由な時間なんじゃないだろうか。

死ぬ直前、もし15秒でも30秒でも思考する時間があったなら、

その時間というのは、生まれて初めての、自分だけの時間なんじゃないだろうか。

世間とか、親とか、知り合いとか、何もかも関係が無い時間。

自分だけの時間。

その時に、一つだけでも自分が納得出来るモノがあれば良いなぁ。

もし、今日死んでしまったら、仕事でミスって落ち込んだテンションのまま死ぬのかなぁ。

それは嫌だなぁ・・

最後くらい「良い事なかったけど、これだけは頑張れた」と思って死にたいなぁ・・・


何だかそんな事を考えだしてしまった。

我ながら中学生みたいだなぁなんて思ったけど、

そういえば大人になってからはあんまり死ぬことについて考えてなかった事に気付いた。


最後に一つだけ自分が納得出来る物が欲しいなと思った時、

やっぱり仕事だと思った。

他に楽しい事が見つかればそれでも良いのだけど、

僕には見つかりそうも無い。

元々、仕事をしている時間が一番好きだったし、一番楽しかったから、

仕事でミスをした事を死ぬ直前に思い出すんじゃなくて、

頑張って良い結果を出せた事を思い出したいなぁ。なんて考え出していた。


ホームレスになって初めて、

「明日も頑張ろう」と思えた。


2012年8月9日木曜日

僕の話(ホームレス生活は続く)

「家が無い人の弁護は出来ない」

弁護士さんにそう言われてしまった僕には、

もう良い案は何も思い浮かばなかった。


相談出来る相手もいない。

ただただ、製菓工場で働くしかなかった。


でも、製菓工場での仕事の終わりがやって来た。

祇園祭が始まる頃だった。


製菓工場での仕事が終わる事を知った僕は、

すぐに新しい仕事を探した。

でも、見つからない。


寮付きの仕事や、

日当1万円くらいもらえる派遣の仕事にもいくつか応募したけど、

面接すらしてもらえなかった。

どうやら、応募が殺到しているらしい。


3.11の震災の影響もあったりするのだろうか。

震災後、倒産した中小企業も多いと聞いた。


毎晩、ネットカフェで仕事を探したけど、

結局すぐお金になりそうな仕事は無く、

僕はスポット派遣の会社に登録した。

日雇い労働だ。


製菓工場での仕事が終わった次の日、

スポット派遣の会社に行き、スタッフ登録をした。

スポット派遣というのは、常駐型派遣と違い、

仕事があれば回しますね、というスタイル。

仕事がもらえるかどうかは、前日じゃないと分からない。


運良く、登録した次の日には、運送屋での仕事が入った。

飲料水を扱っている会社だった。


その会社は滋賀県にあり、

電車で滋賀まで行き、そこからは30分程歩いて向かう。

現場近くまで行くバスも出ているのだけど、

バス代をケチる為に、僕は歩いて行った。


まさに運送屋といった雰囲気で、

体育会系の雰囲気の従業員が多かったのを覚えている。

仕事は、思っていたよりもキツくはなかった。

以前、某物流会社での仕分けの仕事をした経験があったので、

それに比べれば、楽な仕事だと思えた。

日当6千円。


出荷する店舗ごとの大きなカゴ付きの台車に、飲料水のケースを20ケースほど積み、

そのカゴ付きの台車を、トラックの前まで運んでいく。

クーラーも何も無い倉庫内はしんどかったが、

ちゃんと休憩も取らせてくれて、比較的良心的な会社の様に思えた。


仕事内容は大丈夫だったのだけれど、

問題は、毎日仕事がもらえないという事だった。

スポット派遣は、忙しい日しか呼んでもらえない。

ベテランの人は、毎日入っていたみたいだったけど、

やはり新人はあまり呼んでもらえないみたいだった。

そこの運送屋の仕事が無い日は別の現場を紹介してもらいたかったけど、

あまり紹介してもらえなかった。

丁度夏休みで、大学生も多数登録している様だった。

登録スタッフに対して、仕事の量が見合っていない様子だった。


毎日仕事がある訳ではなく、

収入も極端に不安定になってしまい、

公園で寝る日が多くなった。


夏の暑い日に、公園の固いベンチでは熟睡出来るハズも無く、

3時間程度寝ては起きて、また寝ては起きての繰り返しが続いた。

屋根が無いので、

「何か冷たいな」と思って目を覚ましたらもうずぶ濡れという事もあった。


雨の日は、公園の障害者用トイレや、

僕が追い出されたアパートの屋上にある、洗濯機置き場に侵入して寝ていた。

商店街の店先で寝たこともあるが、さすがに警官に起こされた。


食事も、ほとんど100円均一の店で買うようになった。

100円で、4個くらい入っているパン(チョコレートが中に入っている)をよく食べた。

あまりにもお金が無い時は、

BIGサンダーというチョコレートを買って、1枚で二日間過ごしたりもしていた。

何となく、カロリーが高そうだという理由で、BIGサンダーをよく食べたのを覚えている。


夏、公園で寝ていると、

周りは楽しそうな人ばかりだった。

仲の良さそうなカップル、花火をしている人達、ビールを飲んでいるサラリーマン。

ベンチで寝ている僕をどう思っているのだろう。

公園のあちこちから楽しそうな声が聞こえてくる度に、

悔しさと恥ずかしさに襲われた。


この生活に終わりが来る気が全くしなかった。

2012年8月7日火曜日

僕の話(ホームレスの弁護は出来ないと言われた話)

工場から帰ると、家の鍵が付け替えられていた。


まさかこんなにあっけなくホームレスになってしまうとは想像もしていなかった。

ホームレス。

まさか自分がホームレスになってしまうとは。


数日前、部屋の荷物を持って行かれた時に、

軽はずみに動くのではなく、弁護士さんとちゃんと相談しながら解決して行こうと決めたので、

この日も、中谷や管理会社に電話するのを堪えた。

電話した所で、ちゃんとした話し合いが出来るとも思えなかった。


いつまでもドアの前で突っ立っている訳にも行かないので、

ひとまずネカフェに向かった。

ネカフェ難民だ。

TVで見たことがある。

ネットでもよく記事を見かけた。


ちょっと前まで、

「どういう状況でネカフェ難民になってしまうんだろう?」

なんて思っていたけど、

案外あっさりと堕ちて行く人も多いのかもしれないなぁと思った。


ネットカフェ。

6時間パックで1500円。

入店してすぐ寝たとしても、起きてシャワーも浴びたいし、

7時間ちょっとくらいはネカフェに滞在する事になる。

そうなると、一泊約2000円ほど。


「ネカフェ難民」なんて言葉が出来るくらいだから、

ネカフェで何とか生活出来るのだろうと思っていたのだけれど、

甘かった。


その時の僕の日当は一日5000円~6000円程。

ネカフェで2000円。

食事で1000円。

荷物を預けるコインロッカー代が200円。

コインランドリー代が400円。

それ以外に、

交通費や、細々とした出費。

週7日でずっと働ければ、死ぬことは無い。

でも、そろそろ仕事が少なくなる時期だというのは分かっていた。

祇園祭が過ぎると、僕の行っていた工場は暇になるので、

暇になったら働けないと言われていた。

それに、弁護士さんに相談をしに行くのであれば、

その日は働けない。

一日でも収入が無い日があると、ネカフェには泊まれなくなる。


公園には泊まりたくない。

暑いし、虫も多いし、そして何より恥ずかしい。


先の事を考えると、どんどん気分が沈んでいく。

このまま死んでしまうんじゃないかと思えた。


「弁護士さんが何とかしてくれるに違いない」

その希望だけを頼りに、ネカフェと工場を往復した。

工場の人に「荷物多くない?」と聞かれた時はさすがにドキッとした。

コインロッカーに入りきらないものはカバンに入れて持ち歩いていたのだ。


ネカフェなんかで熟睡出来るハズもなかったけれど、

何とか日々の仕事をこなし、

ついに弁護士さんの所へ行く日がやって来た。


事前に、法テラスに電話をして相談の予約をしておいた。

どうやら、勝訴の見込みがある案件に関して、裁判費用を立て替えてくれるらしい。

どうなんだろう。

明らかに不法行為だとは思うのだけど。


当日。

法テラスで、申込書を書く。

住所の欄は空白で提出した。

申込書を提出した後に、法テラスに所属している弁護士さんとの面談があった。

法テラスに何名か弁護士さんが常駐しているらしく、

その中の一人がランダムで選ばれる。

こちらから事前に指名したりすることは出来ない。

どういった経歴の弁護士さんなのかも分からない。


僕が案内された相談室には、

「田岡」という弁護士さんがいた。

40歳前後くらい。

あまり愛想は良くない。


挨拶の後、聞き取りが始まった。

僕が中谷の所で働き出してから、

アパートの鍵を付け替えられるまで。

中谷から受け取った金額や、受け取っていない給料の金額。

アパートの管理会社と中谷との関係。

アパートを追い出されてからネカフェで暮らしている事。

事前にまとめていたので、すんなりと説明出来た。


僕の話を聞いた弁護士さんが言うには、

まず間違いなく勝てるとの事だった。


・不法侵入

・器物破損

・窃盗

・契約不履行


ひょっとしたらまだまだ出て来るかもしれないが、

今の段階では、上記の4つには確実に当てはまると。

持っていかれた荷物、慰謝料の請求は可能だし、裁判所も認めるだろうとの事だった。

もし持っていかれた荷物が既に処分されていた場合、

それに充当するお金を請求する事も出来ると。


「裁判に勝てるんですか?」

と聞くと、

「この状況だと間違いないですね。これは明らかに不法行為です」


「ただ、家が無い人の弁護は出来ないですね」


あっさりとそう言われてしまった。


裁判を起こすとなると、

当然書類のやり取りが必要な場面も出て来る。

それに、裁判費用は分割請求になるから、回収もしなければならない。

そうなって来ると、住所不定の人の弁護というのは無理。という話だった。


確かに理屈としてはそうなんだろうけども。

実際に不法行為によって住所が無くなってしまっているんだし、

裁判には勝てるんだったら何とかならないのだろうか・・・


田岡という弁護士はその後も、

「実家に帰らないというのはおかしい」という話を延々として来た。


「何かあったら親兄弟に頼るのが普通」

「どんな事情があっても家族内で助け合うのが普通」

「役所に行ったらどこに住んでいるのか分かるよね?」

「何で実家の場所を知らないの?」


同じような事を何回も何回も聞いてくるので、さすがにうんざりした。


何回も何回も、

両親がどこに住んでいるのか今は分からない事、

両親の連絡先も知らない事、

弟はいるが、弟の連絡先も知らない事を説明した。


そのたびに、

「いやぁ、それはおかしいよ」

と弁護士さん。


弁護士さんに相談に行ったら何とかなるというのは、

僕の思い込みだったみたいだ。

いや、住所があったら何とかなったのかもしれない。

ホームレスになってしまった時点で、

弁護士さんは助けてくれないのだろうと思った。

弁護士さんも商売だ。

お金が回収出来ない可能性のある仕事をする必要は無い。

ちゃんとお金が回収出来そうな依頼人が毎日相談に来ているのだろう。


「住所が定まったら改めて相談に来てください」

という事で、初回の相談は終わった。


「住所があれば動いてくれるのだろうか・・・」

今のままでは、部屋なんて借りれない。

部屋さえ借りれたら、ひょっとしたら荷物も帰ってくるのかもしれない。


でも、

僕はまだ頑張れるのだろうか。

「住所があれば裁判が出来る」

そんな不安定な希望のみで頑張れるのか。

法テラスからの帰り道、

無性に頭を掻きむしったのをよく覚えている。

もう、どうすれば良いのか全く分からなかった。

荷物を持って行かれてから、

「弁護士さんに相談すればきっと解決するはずだ」

というあやふやな希望に賭けて毎日過ごしていた。

その希望もほとんど断たれてしまった。

部屋を借りれる見込みなんて全くなかった。

もう何も考えられなくなった。


お金の事は心配だったけど、その日も夜はネットカフェに泊まった。

「何かしなきゃ」

という思いで、

付近の弁護士事務所を検索してみたり、

マンスリーマンションについて調べてみたりしていたが、

ただ調べているだけで、何も意味が無い事は分かっていた。

今の状態では弁護士さんは頼れないし、

マンスリーマンションを借りれるお金も貯まらない。


「詰んだ」

一回そう思ってしまうと、もう何も考えられなくなった。

2012年8月5日日曜日

僕の話(ホームレスになった日)

僕は相変わらず製菓工場で働いていた。

京都ならではの和菓子を製造している工場だ。

水ようかんやら、和テイストのゼリーやらを、

毎日毎日作っていた。


「次に部屋に入る人が決まったから、部屋から出てってくれ」

という訳の分からないメールが来た後も、

特に何も変化は無く、

せっせせっせと工場で働いた。

滞っていた支払いにも追いつき、

食事も三食食べれる様になった。

伸びっぱなしだった髪の毛も、

ちゃんと美容室でカットしてもらった。


製菓工場のパートのおばちゃんとも仲良くなってきて、

工場での仕事も意外と楽しいのかもしれないと思ってきた。


室温が40度近くなる工場内で、

上から下まで分厚い衛生服を着ての作業は、

とてもキツくて、一日何人かは倒れていたのを覚えているが、

僕の場合、何だかんだ言いながらも、

しんどいブルーカラーの仕事も楽しめる自分の性格に助けられたのだと思う。

訪問販売の営業から、

ネット上でも評判があまり良くない、某物流会社での仕事まで経験していたので、

多少劣悪な環境での仕事でもストレスは溜まらなかった。


中谷の会社を辞めてから丁度一ヶ月半が経とうかとしていた。

いつも通り、夜22時頃、僕は布団に入った。

朝が早い仕事の為、今までよりも早く寝付く週間が付いていた。


布団に入ってしばらくして、

ウトウトし始める。丁度一番気持ち良い時間帯だ。

その時、

ドアがノックされた。

ゴンゴン、ゴンゴン、という音は、恐らくアパート中に響き渡ったと思う。


中谷だ。と思った。

それ以外に考えられなかった。

まさか本当に追い出すつもりだろうか?

正当な理由も手続きも無く?

そもそも何で追い出したいんだろう?

管理会社は何を考えているんだろう?

瞬時に色々な考えが頭の中を駆け巡った。


ガチャリ。

鍵を回す音が聞こえた。

どうやら合鍵をもらって来たらしい。

そこまでするかと。

こんな夜中に普通それは無いんじゃないかとちょっと笑ってしまった。


ボロボロで、

しかも住んでいる人の半分以上はワケありっぽい雰囲気の人ばかりのアパートだったので、

僕はいつもドアにチェーンを付けていた。

そのおかげで部屋に入られる事は無かった。


チェーンを切断する以外に、

この部屋に侵入する方法は無い。

疲れていた僕はそのまままた毛布をかぶり、しばらく経つとそのまま寝てしまった。


翌朝。

いつも通り朝ごはんを食べ、

シャワーを浴び、

仕事の用意をして家を出る。

ドアを開けた時、

メモが挟まっている事に気付いた。


「次に入居する人が決まっているのに引っ越さないから、管理会社の人も怒っている。

連絡が無かったら部屋の荷物も全部出すと管理会社も言っている」

との内容だった。


もう意味が全く分からなかった。


すぐ、弁護士さんに相談に行こうと思った。

こんな人達とマトモに話し合えるハズが無い。

大人だったらちゃんと正式な手続きを踏んで行くものだろうと。

正式な手続きも踏まず、

次の入居者が決まっているからという理由で追い出せるハズが無い。


その日の昼休み、

思いつく限りの機関へ電話した。


不動産関係の組合、消費者センター等々。

どこに電話しても、

「そんな理由で追い出す事は絶対に無理」という答えだった。

それはそうだろう。


それに、管理会社の人間が家に来るのならまだ分かるが、

何故、中谷が鍵をもって来るのか。

もちろん、委任状も何もない。

本当に何もかもが意味が分からない。


その日もいつも通り仕事を終えたが、

夜中にまたドアをノックされたら困るなと思い、

ネットカフェに泊まる事にした。

近々休みを取って、

弁護士さんの所に相談しに行こう。

そう思い、ネットカフェで法テラスの事や、

近くにある弁護士事務所を調べた。


翌日、近日中に一日休みを取りたいと伝えた所、

もうしばらく待って欲しいと言われた。

もうすぐ祇園祭だった。

祇園祭前になると、和菓子の製造数が跳ね上がる。

確かに時期が悪いなと思った。

早めに動きたいという気持ちもあり、焦っていたが、

何とか翌週に一日休みをもらうという事で落ち着いた。


来週、弁護士さんの所に相談しに行こう。

それできっと解決するハズだ。

仕事中も、弁護士さんにどう話すのかで頭がいっぱいだった。

まずどこから話せば良いのやら。

弁護士さんに相談するなんて事が今まで無かったので、

何か書類に纏めた方が良いのだろうか、

必要な物はあるのだろうか、

不安だった。

帰ったら、中谷の所で働き出した頃からの出来事を、

時系列にまとめてみよう等と考えているうちに、

あっという間に仕事が終わった。


いつも通りスーパーに寄って帰る。

ご飯を食べて、弁護士さんに渡す為の資料を作ろう。

そんな事を考えながらアパートに着く。


鍵を回した。

気のせいか、いつもと空気が違う様な気がした。

ドアを開け、部屋に入る。


そこには何も無かった。

この部屋に入居した時と同じ景色だった。

唯一の違いは、冷蔵庫。

冷蔵庫だけは取られなかったようだ。

次に住む人の為に残しているのかなぁなんて、変に落ち着いていたのを覚えている。



布団も、机もPCも。

本もCDも服もみんな無くなっていた。

昨夜持って行かれたのだろうか。

ミスった。

昨夜ちゃんと帰っていれば良かった。


これからどうなるんだ。

服は、今着ているTシャツとズボンと靴下しか無い。

部屋にお金は置いてなかったから、お金は大丈夫。取られていない。

所持しているものは、財布とiPhoneとiPod。

これだけで生きていけるのだろうか。

無理だろうどう考えても。


管理会社と中谷に怒りの電話をかけようと思い、止める。

冷静になった方が良いと思った。

多分、ちょっとでも間違えたらもう取り返しがつかなくなる気がした。

一番良いと思われる案は、

やはり弁護士さんだろう。

弁護士さんがどういった事をしてくれるのか全然分かっていない癖に、

何故か弁護士さんが一番頼りになると思っていた。


幸い、部屋の鍵は変えられていない。

いつまでこの部屋に入れるのかは分からないが、

とりあえず寝る事は出来るし、水しか出ないが、シャワーも浴びれる。

とりあえず焦らず、一番良い道を進もう。


次の日も、沈んだ気持ちを奮い立たせて何とか工場で働いた。

次の休みの事しか考えられなかった。

次の休みの日、弁護士さんの所へ相談に行こう。

あまり好きじゃないが、警察にも行ってみよう。


移動中もiPhoneで色々な法律の事や、

似たような事件が過去に無かったのか調べていた。

何もない部屋に帰るのは何だか気分が重い。

働いている間は何とか現実逃避が出来るけど、

何も無い部屋に帰ると、途端に現実を思い知らされるだろう。

気を紛らわす為、

ユニクロで着替えのTシャツとパンツと靴下を買う。

ユニクロがあって良かった。心からそう思えた。


アパートに着き、鍵をドアに差し込む。

回らなかった。

一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。

何度も何度も鍵をガチャガチャ言わせ、

ようやく鍵が付け替えられた事に気付いた。


ホームレスになった。

2012年8月2日木曜日

僕の話(ホームレスになる直前)

なかなか就職が見つからなかった僕は、

以前の仕事仲間、中谷が経営している会社に社員として入社しました。


入社後、僕は営業部の主任という形で勤務を開始した。

NTTを辞めて入社して来た人や、

同業他社から引き抜いて来た人もいて、

以前より中谷はやる気になっている様に見えた。


休みは週一回だが、何曜日に休むのかを割と自由に決めれたので、

就職活動を再開したい僕には丁度良かった。


社員として入社した以上、辞めるまでは全力で働きたかった。

毎日遅くまで外回りをし、帰社してからデスクワークをし、

家に帰ってからも仕事をした。


中谷も、以前の様なサボり癖はあまり出てなく、

毎日頑張っている様だったので、少し安心した。


だが。

一ヶ月目の給与が支払われない。


昔の仕事仲間にあまり金、金と言いたくはないが、

こっちも社員として毎日働いている以上、

もらうべきものはもらわなくてはならない。

こっちにも生活があるのだ。

引っ越したばかりで貯蓄もあまり無かった。


結局、家賃、ガス、電気代、携帯代の請求書を中谷に見せ、

代わりに払ってもらう事になった。

生活費として、一週間で3000円~5000円程度もらった。


お金が回っていない様には見えなかった。

僕が入社する前も、

給与はきちんと払うという約束だった。


一瞬、「辞めよう」と思ったが、

辞めたら辞めたで、生活が出来ない。

一週間分の生活費も無い状態で、イキナリ辞める訳にはいかなかった。

それに、辞めた後、未払いの給料が払ってもらえるかどうかという不安があった。


勤務して二ヶ月が過ぎた頃、

中谷がお金を渡すのを渋り出してきた。

おかしい。

売上はどこに行ってるんだろう。

相変わらず家賃等は中谷に払ってもらっていたので、

僕はどんどん身動きが取れなくなって行った。


中谷の仕事の仕方は好きじゃなかったが、

普段は仲が良かったし、信頼もしていた。

まさか裏切られるのだろうか。

そういう考えが頭をよぎる様になった。


入社して三ヶ月少し経った頃。

全くお金がもらえなくなった。

携帯が止まり、ガスも止まりそうだった。

食事は一日一食になった。

米を買うお金も無く、

うどんやカップラーメンを食べる様になった。

毎日働いているのにお金が無いという状況は、

全く意味が分からなかった。


もうその頃から僕は会社に行かなくなった。

そこまでして中谷の会社で働く必要性が無かった。

毎日毎日お金の催促をした。

払ってもらわなければ死んでしまう。


会社に行かなくなって一週間程度経過した後、

中谷から、

「ポストにお金を入れといたから」というメールが来た。

すぐにポストに走りたかったが、

もう2日も何も食べてなかったので、のそのそと歩いていった。


ポストに入っていたのは三万円だけだった。

信じられなかった。

すぐに電話代を払って電話をした。

「給料はどうなってる?」と問い詰めると、

「そんな最初の頃の話を持ちだして来られても困る」と。


全てがどうでも良くなった。

最初から払わないつもりで雇ったのかもしれない。

売上を持ち逃げするつもりだろうか。


もう話をするのも馬鹿らしくなって、すぐに電話を切った。

とりあえず、とりあえず当面の生活費は出来た。

一週間は生活出来るだろう。

すぐに仕事を探した。

幸運な事に、製菓工場での短期の仕事があった。

給料は週払い。

日当が6000円程度しか無いが、

それでもとりあえずは働いた。

本当はいけない事なのかもしれないが、

週七で働いた。

とりあえずはお金が欲しかった。


製菓工場で働き出してすぐ、ガスが止まった。

未納が続いていた為だ。

この位の時期は、

給料をもらっては支払い、給料をもらっては支払いという状態だった。

製菓工場で働き出して一ヶ月が経とうかという頃、

遅れていた支払いも済ませ、だいぶマシな生活が送れる様になってきた。


そんな頃、中谷からメールが入ってきた。

「管理会社の社長が連絡を取りたがっている。次に入る人も決まってるから、

今月末までに荷物を出す様に」


呆れた。

呆れ果てた。

どういう頭の構造をしているのだろうと思った。


まず、部屋の契約をしているのは僕自身だから、

何か連絡事項があれば僕に直接連絡して来るべきだ。

何らかの事情で部屋を出て行って欲しいのであれば、

キチンとした手続きを踏んで、告知するべきだ。

それが、「次に入居する人も決まっているから」というのはどういう事か。

僕は無視をする事に決めた。

そんな事が出来るハズが無いし、

中谷が何をしたいのかが分からなかった。

何かの駆け引きでもするつもりで、脅して来ているのだろうかとも思った。


管理会社自体は、何年も続いている、割とちゃんとした会社だったので、

もし、何らかの理由で退去して欲しくなったら、

ちゃんと手続きを踏んで来るだろう。

そう思っていた。

2012年7月31日火曜日

僕の話(就活をしていた頃)

自分達で立ち上げた会社を、

僕はあっさりと後にしました。

もう一度就職して、今度はちゃんと方向性の合う人といずれ独立しよう。

30歳くらいまでは勉強したりしよう。

そう思い、就職活動をする事にした。


IT企業から呉服関係まで、

営業職を中心に片っ端から応募した。

ある程度体育会系な会社でも大丈夫な自信があったので、

選り好みせず、どんどん面接に行った。

でも、就職は決まらなかった。


採用された会社もいくつかったけど、

保証人がいないというのでダメになった。

それは覚悟の上だったけれど、

でも少し甘く考えすぎていたのかもしれない。


そうこうしているうちに、就活中の生活費も少なくなって来たので、

派遣のアルバイトを始めた。

ネット上でも、荷扱いが荒いというので有名な物流の会社だった。


生まれて初めてのブルーカラー。

ハッキリ言ってめちゃくちゃしんどかった。

精神的には耐えられたけど、体力が全然もたなかった。

生まれてこの方、運動なんてロクにした事もなかった。

水のペットボトルが何本も入ったケースを延々と積み上げたり、

10tトラックから荷物を下ろしたり、積み込んだりという作業は、

運動経験ゼロの僕には地獄だった。

初めて勤務した翌日は、筋肉痛で動けなかった。

でも働かなきゃ就職が出来ない。

早く就職する為に、何とか毎日働いた。


一月もしてだいぶ仕事に慣れてくると、

他の現場にも行かせてもらえる様になった。

病院内で薬品を運搬する仕事や、

印刷工場での仕事。

どれもしんどかったけど、

体力が付いてきた事もあり、

汗を流して働くというのも意外と悪くないなぁなんて思い始めていた。

少し健康的な身体になりつつあるのも嬉しかった。


同じ派遣スタッフの友達もいくつか出来た。

ワケアリの人が多かったけど、

みんな毎日必死に働いていた。

僕はそういう人が凄く好きな事に気付いた。

多分、父親と母親と真逆のタイプだからだと思う。

借金だらけなのに必死に働こうとはしない父親と、

現実から逃げてカルト宗教にのめり込む母親。

一生懸命働いている人が好きなのは、親とは真逆だからかもしれない。


派遣のアルバイトを初めて半年が過ぎた頃、

実家が引っ越す事が分かった。

僕はその頃実家で寝起きしていて、

ある日起きたらメモが置いてある事に気付いた。


「来週引っ越す事になりました」


目が点になった。

どう考えてもおかしいだろう。

いくらお互いに会話が無いからと言って、

もう少し早く教えてくれるもんなんじゃないのか。

でも文句を言っている暇も無かった。

一週間で部屋なんか探せるだろうか。


そんな時、中谷から連絡があった。

特に内容も無い、「最近どうしてる?」程度の連絡だった。

仕事のやり方は嫌いだったけど、人間的には別に嫌いでもなかったので、

就活をしている事や、派遣で働いている事を話した。

中谷は中谷で、新しい仲間を見つけ、前より良い方向に進んでいる様だった。

従業員も前より増えているらしかった。

城島は相変わらずサボり癖が治らず、

もうほとんど働いていないとの事だった。


僕は中谷に、一週間以内に引っ越さなければならない事を伝えた。

不動産管理会社といくつか繋がりがある事は僕も当然知っていたので、

良い物件を紹介してもらえたらという思いがあった。

中谷はあっさり管理会社を紹介してくれた。

書類上、契約は来月からになるけど、すぐにでも入居して良いとの事だった。

この時ばかりは流石に中谷に感謝した。

急いで荷物を纏めて、アパートに入居した。

お世辞にもキレイなマンションには程遠い作りだったけど、

彼女がいる訳でも無いし、

男一人が貧乏暮らしをするには丁度良い部屋だった。


その時僕はすでに25歳になっていた。

良い歳だ。

どんどん焦る様になっていた気がする。


年を越して1月になっても、

僕はまだ派遣で働いていた。

就活は全然上手く行っていない。


そんな時、中谷から連絡があった。

「また一緒にやらないか?」という連絡だった。

僕はすぐに断った。

一緒にやっても上手く行くイメージが無かった。

でも中谷はしつこかった。

最終的に、

従業員として雇う事と、就職が決まり次第辞める事を条件に、

僕は中谷の会社に社員として入社した。


これが全ての間違いだった。

2012年7月29日日曜日

僕の話(独立した頃の話)

働いていた会社に、愛知支店が業務停止処分を下された事をきっかけに、

僕は会社を辞めた。

高校生の時から数えると、4年ちょっとの勤務だった。

長いような、短いような。

辞めてみるとすごくあっけない気分だった。


会社を辞めた後、僕は同じ業界の会社に入った。

と言っても、前にいた会社よりは随分とマシな会社だった。

新しい会社も教育関係の会社だったが、

以前の職場みたいに、高額な教材を無理矢理ローン契約で買わせる様な会社ではなかった。

そこで、中谷という男に出会った。

中谷はそこの支店長だった。


自分では気付いていなかったが、

僕も少しは営業の事も分かってきた様だった。

まだまだ「バリバリの営業マン」と言うには程遠かったけど。

順調に業務をこなして行き、数ヶ月した頃、

中谷から独立を誘われた。


正直な所、僕は独立して仕事をする事に興味があった。

実家の状況が状況だったので、

人より多く稼がないと、将来が真っ暗だと思っていた。

将来結婚して、子供を育てて、ちゃんとした家庭を築きたい。

そのためには、人より多い収入が必要だ。僕はそう思っていた。


僕は中谷と一緒に独立する事に決め、

以前の会社で仲良くなった城島を誘った。

城島も自営業に興味があったみたいで、あっさり誘いに乗ってきた。


今思えば、相当無計画だったと思う。

それぞれ貯金もそんなに無かったので、

場所を探すのにも苦労した。

結局、マンションを一部屋借りて、

そこを事務所として使う事にした。

最初は法人化せずに仕事を始めて、

上手く回りだしたら法人化しよう、という感じで始めた。

従業員は、僕と中谷と城島の三人。


勢いだけで始めても意外と何とかなるもので、

事務所はマンションだけれども、

中に机を置き、電話を引き、PC等を置いて行くと、会社ぽくなったのを覚えている。

応援してくれる人もたくさんいた。

以前同じ職場にいた人や、その人の紹介。

様々な人から仕事を紹介してもらい、仕事も手伝ってもらい、

徐々に「自営業は楽しいかもしれない」と思える様になった。

あまり儲かってはいなかったけれど。


仕事で使う資料から名刺からマニュアルまで、

全て自分達で作った。楽しかった。

ほとんど以前いた会社の劣化コピーという感じだったけど。

お金の事もそうだけど、

全部自分たちで責任を持って、考えてやって行くというのがたまらなく楽しかった。

「明日はどうしようか」「来月はどうしようか」

頭の中は仕事の事でいっぱいだった。

あんなに苦手だった営業も、楽しく思える様になって来た。


しばらくすると、求人誌に求人広告を打ち、

アルバイトも雇えた。

人が徐々に増え、マンションでは流石に狭くなって来た。

少しずつ少しずつ、会社になって行くのが楽しかった。


だけど、徐々に三人の方向性のズレが大きくなって来た。

城島は、父親が市会議員・母親が税理士という家に育った。

それなりに金持ちみたいだった。

城島が独立したかったのも「会社員はしんどいから」という理由だった。

城島は、毎日事務所に来て、ダラダラ誰かと一日話すだけという毎日になった。

中谷も、「雨降ってるから営業回るのやめよう」等と言い出す様になった。


自営業を始めた当初は緊張感もあったのだけれど、

今までみんな会社員だったから、

急に自由に働ける様になって、ダラダラし始めたのだ。

僕だけが焦っていた。

雨でも雪でも一人で外回りを続けた。(当たり前の話だが)

毎日毎日仕事の事ばかり考えた。

二人の事は嫌いじゃなかったが、仕事のやり方は合わないと思い始めた。

でも、今更辞める訳にも行かないので、

方向性について色々話しながら、仕事を続けて行った。


自営業を始めて三年程経った頃、

事務所を移転出来る事になった。

マンションの一室から、今度はちゃんとしたテナントを借りれる様になった。

仕事の関係で知り合った管理会社が管理しているビルで、

初期費用等もだいぶ安くしてもらえた。


そろそろ法人化かなぁという話が出始めた頃、

僕は一旦離脱する事に決めた。

この二人と法人化しても会社はコケるだろうと思っていた。

以前よりはマシにはなっていたが、

二人のサボり癖は相変わらずだった。

これ以上この二人とやってたら、

僕までダメになってしまいそうだと思った。


「ちょっとやりたい事が出来た」

そう告げ、僕は退職した。


もっと、ちゃんとした人達と働きたかった。

ダラダラした仕事をして、状況が悪くなるのは嫌だった。

25歳の夏だった。

2012年7月28日土曜日

僕の話(初めての就職)

高校を卒業した日の夜、

僕は夜行バスに乗り、埼玉へ向かいました。

数時間前までは高校生だったのに、

イキナリ違う世界に進んだ様に感じ、ワクワクしたのを覚えています。

城島(仮名)という人と一緒でした。

城島は僕の二つ上の歳で、その後も長い付き合いになりました。


埼玉に着いたのは、早朝6時頃だったと思います。

僕を埼玉への転勤に誘ってくれた上司、小野さん(仮名)の家へ向かいました。

土地勘が全く無いので、タクシーで向かったのを覚えています。


小野さんと合流し、埼玉支店へと向かいました。

社員の人と挨拶や自己紹介なんかを済ませ、翌日から勤務する事になりました。

埼玉支店の店長に小野さんが就任していたので、

何となく、やりやすい雰囲気でした。


埼玉に着いた翌日から、仕事が始まりました。

と言っても、僕は高校を卒業したばっかりです。

まだ世の中の事も知らず、

仕事も全然出来ません。


出勤したらまず、支店のトイレ掃除。

その後、支店長(小野さん)の机や電話を掃除。

その後も掃除や雑用を済ませて、

それから仕事をするという日々でした。

週に2日程、支店長の家の掃除もしました。

風呂からリビングから寝室まで掃除をしました。


当時は「何でこんな事やらなくちゃいけないんだ」

とふてくされていたのですが、

今思えば、高校を卒業したばかりの小僧の使い道というのは、

掃除や雑用くらいしか無かったんだろうなぁと思います。


また、怒られる事も非常に多かったのを覚えています。

ヒドイ時は、一週間毎日何時間も怒鳴られていました。

体育会系の訪問販売の会社だったので、怒り方もハンパでは無かったです。

言われている事は分かるのだけれども、

それに対してどうすれば良いのか全然分からなかった僕は、

ただ返事をするしかありませんでした。

仕事の仕組み自体、何も分かっていなかったのです。


支店長や、上司や、同僚からも怒られ続け、

日に日に僕は弱って行きました。

これが社会というものなんだなと、どこか他人ごとの様に感じていた時期もありました。


でも、逃げて実家に帰るという考えは全くありませんでした。

仕事をしても結果も出ず、楽しくはなかったハズなのですが、

それでも実家に戻るよりはマシでした。

逃げたくなる自分を騙して騙して、会社にしがみついていました。


僕は元々コミュニケーション能力も低く、

というより、高校の途中くらいから人を避ける様になってしまっていたので、

会話というものが極端に下手でした。

そんな僕がイキナリ営業が上手くなるなんて有り得ないと思い、

少しずつ話し方の本を買って勉強したりもしました。

すぐ結果に繋がるなんて事はありませんでしたが。


埼玉へ行って丁度半年ほど経った時、

小野支店長が「辞めようと思っている」と言いました。

お金の事で会社と揉めている様でした。

小野さんが辞めるなら僕も辞めようか。そう考えました。

良い結果も出せてないし、営業とかは僕には全然向いてないのかなと思っていました。


小野さんが辞める何日か前に、僕は京都に戻りました。

京都へ戻ってすぐ、京都本社へ挨拶へ行きました。

辞めようと思っていたのですが、

上の人達と少し話した結果、続ける事になりました。


実家は相変わらず狂っていましたが、

仕事があるおかげで、

家には寝に帰るという感じの生活になりました。

そしてそのうち、京都に僕と一緒に戻っていた城島の家に転がり込んだりして、

実家を出たり入ったりというのが何度かありました。


京都本社で勤務し始めてしばらくしてから、

正式な社員になれました。

丁度20歳くらいの時には、仕事が楽しくなって来ました。

会社自体はとてもグレーな会社でしたが、

ちゃんと働いてお給料をもらい、

両親みたいないい加減な人達にならない様にと、毎日頑張りました。


僕が21歳の時、愛知の支店が業務停止になりました。

愛知・岐阜・三重県の三県の消費者センターが合同で摘発するという、

前代未聞の出来事で、TVニュースにもなりました。


「このまま続けるのはヤバイんじゃないか」

そう考えた僕は、

城島と一緒に退職しました。

ちょうど今と同じ季節でした。

僕の話(高校時代まで)

僕は、京都市内の自営業を営む家庭に生まれました。
扱っている商品は、伝統芸能関係の商品でした。

母方の、曾祖父さんの代からある会社で、

昔は結構有名だったそうです。


僕の父親は婿養子でした。

母親には兄がいたのですが、ダウン症でした。

本来なら、長男に継がせる予定だったのがダウン症で生まれてきて、

次に生まれてきたのが母親で、そこで婿養子をとろうという事だったのだと思います。


昔はそこそこ流行っていた会社だった様ですが、

僕が小学生の頃にはもう借金まみれでした。

父親はあまり家に帰って来なくなり、

母親はカルト宗教にのめり込みました。


母親は、いつも仏壇(?)の前にいました。

ウチの母親が、友達のお母さんとちょっと違うというのは、

中学生くらいの時に気づきました。


家にいる時はTVを観てるか、仏壇の前で何かブツブツ言っていました。

小学生くらいの時、宗教団体の施設に無理やり連れて行かれた事も何度かあります。

酒鬼薔薇聖斗の事件があった時、

「加害者と被害者は源氏と平氏の生まれ変わりで、何代にも渡って殺し合っている」

という訳の分からない話を、何度も何度も聞かされました。


「先生(教祖?)が、何も無い所から火を点けたの!」

「今日お祭り(宗教関連の祭典)の最中、雲の形が鳳凰の形になってた!」

そんな話を毎日毎日聞かされ、

食事中には、教祖が説法をしている様子を収めたテープを聞かされました。


高校生になっても家は相変わらずの状態でした。

借金まみれなのにロクに働かない父親と、カルト狂いの母親。

僕は学校にも家にもあまり寄り付かなくなりました。

学校の友達とは、何だか自分が違う人種の様な気がして、馴染めなくなっていきました。


小遣いももらっていなかったので、

小中学生の時に、親戚からもらったお年玉を貯金していたものを切り崩して生活していました。

ですが、そのうち貯金も尽き、僕はアルバイトを始めました。

親からお金がもらえないし、もらいたくもなかったので、

時給のみでアルバイトを選びました。

僕が選んだのは、訪問販売のテレアポのバイトでした。


当時、訪問販売業界は、「教材ブーム」でした。

求人誌をめくれば、教材販売会社のテレアポのバイトの募集があふれていました。

平均時給は1200円くらいだったと思います。


「○○大学の学生なんですけど、家庭教師を頑張りたいと思ってまして云々」

こういう電話がかかって来た事があるという方も多いのではないでしょうか。

それが僕の生まれて始めての仕事でした。

当然、グレーな仕事だとは思っていました。

高校生やフリーターのアルバイトが、学生を装い、アポイントを取ります。

よくありがちな「無料体験学習」のアポイントです。

アポイントが取れた家庭に、「講師」を名乗る営業マンが行き、授業をします。

その中で、教材のセールスを行い、高額な教材をローンで購入させるという商売です。


ハッキリ言ってかなり悪どい商法で、摘発された会社も山のようにあります。

ですが、僕は楽しくて仕方がありませんでした。

良くない仕事だとは思っていたのですが、

自分で稼いだお金でご飯が食べれる事が本当に嬉しかった。

自分の父親とは違い、社員のみんなは必死に働いていました。

学校の友だちとは違い、バイト仲間も必死に働いていました。


高校の友達はみんな幸せそうに見えました。

両親がいる家庭も片親の家庭もありましたが、

みんな家族と仲が良く、

進路も割りと自由に考えている様でした。


僕は大学に進学という選択肢がありませんでした。

金銭的に無理でしたし、

奨学金は借金だという認識がありました。

当時、既に就職難という言葉を頻繁に耳にしていたので、

借金してまで大学行っても返せなかったら嫌だと思いました。


高校3年生の夏頃、

どんどんテレアポのバイトにのめり込む僕に上司が、

「就職後、ウチに来ないか」

と声をかけてくれました。


高校を卒業したら、家を出てちゃんと一人で生活をして行きたいと思っていた僕は、

卒業後、その会社に入社する事を決めました。


高校3年生の秋、

滋賀の支店への転勤がありました。

アルバイトで転勤というのも珍しいのかもしれませんが。

京都の本社ビルが改装工事の為、半年ほど業務が止まるという事でした。

僕は喜んで毎日滋賀県まで通いました。

毎日が充実していました。

学校へ行っても楽しくない、家にいても楽しくないという僕でしたが、

仕事だけは本当に楽しかった記憶があります。

決して仕事が出来た訳ではありませんが、

それでも自分で色々考えて毎日働きました。


ある日上司に、「埼玉の支店に転勤する事になった」と告げられました。

そして、「お前も来い」と言われました。

高校を出たら家を出たいと思っていた僕でしたが、

イキナリ他府県というのは少し戸惑いました。

でも、地元に何の愛着も持っていなかったので、

翌日には、「行きます」と答えていました。


そして、高校を卒業した日の夜に、僕は鞄一つで埼玉へ向かいました。

卒業後の打ち上げとか、そんな事に一切興味がありませんでした。

働いて、そのお金で生活をする。その事で頭がいっぱいでした。

2012年7月25日水曜日

生活保護から自立する為の第一歩

何らかの理由で生活保護を受給し出してしまうと、

そこから自立するのはとても困難です。

「最低賃金>生活保護」という話題も最近多いですが、

生活保護を受給しなければいけない状況に陥ってしまった人が、

いきなり生活の水準が上がる程の収入を得られる職に就くのはなかなか難しいと思います。

生活保護費は月々12~13万円程度ですが、

年金・医療費等の免除というのがやはり大きいと思います。

アルバイト等を見つけて、生活保護の受給を辞退した場合、

次の月から、生活保護受給中よりも、

生活水準が下がってしまう可能性があります。

まさに「貧困のループ」です。

ですが、やはり「働いて収入を得る」というのは大事だと僕は思います。

実際受給者の中には、「働けるなら働きたい」と思っている人も多いと思います。

しかし、このご時世、なかなか高収入の仕事というのも見つかりません。

なので、自立の第一歩として、

「収入を得ながら、最低生活費に足りない分だけ支給してもらう」

という考え方もアリなんじゃないかなぁと思います。


どういう事かと言うと、

生活保護の受給額というのは、国が定めた最低生活費を基準に計算されています。

地域によっても多少違いはあるのですが、

独身の場合、大体12~13万円が支給額となっている様です。

そして、生活保護を受給しながら、アルバイト等で収入がある場合、

最低生活費からアルバイトでの収入を引いた額が支給されます。

なので、月々の収入が最低生活費を越える様になるまで、

少しだけ生活保護に助けてもらうという事が可能です。


「じゃあ結局月々の収入は12万円じゃないか」

と言われてしまうかもしれませんが、

将来の可能性が全然違います。

生活保護受給者の生活水準が上がる事は100%有り得ません。

ですが、生活保護受給中にアルバイトを始め、

仕事を覚えて収入を得ながら、もっと賃金の良い職を探したり、

就職活動をしたりしていく中で、

可能性が広がるという事も少しはあるのではないかと思います。

ほんの少しの可能性かもしませんが。。



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生活保護受給マニュアル

最近チラホラと耳にする、

「生活保護受給マニュアル」

普通に書籍として販売されている様です。

ネットで検索しても、チラホラ出てきますね。。























絶対にあきらめない生活保護受給マニュアル(amazonリンク)

福祉事務所の生活保護担当をしていた方が書いた本の様です。

発売日は2008/7/31






















野たれ死にするくらいならどんどん生活保護(amazonリンク)

マンガの様です。

この本も、生活保護担当だった方が原作を担当している様です。

発売日は2009/12























生活保護獲得ガイド(amazonリンク)

この本は、元NHK職員だった人が書いた本の様です。

発売日は2007/7


この三冊はネットで検索してパッと出てきたのですが、

発売されたのは少し前の様ですね。

丁度派遣切り問題が騒がれ出したくらいでしょうか。

少し読んでみたいような気もします。

こういう本が発売されるのも、

貧困化が進む中で、

セーフティネットについて詳しく知らない人が多いからかもしれないですね。

みんながみんな生活保護の知識を持ってしまったら、

申請に来る人が殺到してしまうという事も有り得ますけれども。


また、こんな記事も見つけました。

不正受給横行の裏にあった「生活保護受給マニュアル」(女性自身・2012/5/30配信)

>このマニュアルをもとに
>シノギ(商売)をおこなっているグループのリーダー・金本公博氏(仮名・32)は、
>もともと広域暴力団がバックに控えるヤミ金および振り込め詐欺グループの一員だった。
>だが2年ほど前から、受給者から搾取する「生活保護ビジネス」に手を染めるようになったという。

>裏マニュアルを見ると、生活保護の申請から受給までの流れ、注意点、
>重要ポイントがじつに細かく生々しく記されている。
>たとえば住居の問題。申請をするとケースワーカーが自宅を訪ね、
>生活実態の調査をおこなうのだが
>「部屋をゴミ屋敷化すること」
>「職員の訪問予定日前に生ゴミを放置しておき、異臭を漂わせておく」
>などといった対策が記されている。

>金本氏のグループでは「受給しやすい部屋の提供」までおこなっているという。
>ボロいアパートを一棟丸ごと借り上げて、1人1部屋。
>上限額の範囲内であれば家賃も全額出るため、取りっぱぐれもないのだ。

>さらに生活保護受給希望の”客”に対しては申請までの期間、
>セミナーと称する「特訓」もおこなっているという。
>「事前にうちの若いのが福祉課窓口の担当役になって
>”想定問答”を繰り返し徹底的にやるんですよ。これがいちばん大変」(金本氏)

>裏マニュアルの結びにはこうあった。

>『(金本グループの)担当者の指示をよく守って自らの生活を防衛しましょう』


これは完全にヤクザがシノギでやってる例ですね。。

この記事でのポイントは、

「部屋をゴミ屋敷にする」でも無ければ、

「受給しやすい部屋の提供をしている」という部分でも無く、

「想定問答を繰り返し徹底的にやる」

という部分。

これが一番効果的だと思います。

僕も何度かブログ等に書いているのですが、

生活保護の申請時の審査というのは、

基本的には性善説に立って行われています。

そこが一番問題視されている部分でもあるのですが・・

申請時に、福祉窓口の担当が聞き取りを行う項目というのは決まっています。

そして、審査の大部分が自己申告に頼っている為、

そこをくぐり抜けたら誰でも受給出来る様な状態になっています。

要するに、頭の中に完全な台本があれば、誰でも受給出来てしまうのです。

極端な話、

僕が生活保護の申請までに至ったストーリーと、

同じストーリーを窓口で話せば、受給出来てしまうのです。

これが生活保護の一番の問題部分だと僕は思っています。



関連記事:生活保護申請時の審査の甘さ

関連記事:「週刊ダイヤモンド」の生活保護特集を読んだ感想

関連記事:生活保護の申請をしました


2012年7月22日日曜日

「働けるのに働かない人」とは

生活保護の話になって来ると必ず、

「働けるのに働かない人」

という言葉が出てきます。

働けるのに働かない。

分かりやすい様で分かりにくい言葉だと思います。


例えば僕の場合。
  • 20代半ば
  • 高校卒業後、サラリーマン→自営→サラリーマンと働き続けている。
  • 持病無し
  • 精神疾患無し(多分)
  • 両親はいるが、連絡先等不明。関わりが一切ない。
  • ホームレスになってからも日雇い労働をしており、収入はあった(月10万円くらい)。
  • ホームレスになった経緯に事件性がある可能性がある。
  • 仕事は出来るし、就職もしたいが、家もスーツも何も無い状況。
ホームレスになった経緯は、ホームレスになった経緯とその後の経過に少し書いてあります。

僕と役所の担当の人としては、
  • 年齢がまだ若い
  • 職歴がある
  • 就職する意思がある
  • 家があり、生活が安定すれば、就職活動が始められる
という考えでした。

でも実際、家があった所ですぐに就職活動を始めるのは無理でした。

普段着る服すら無く、スーツを買ったり、生活に必要なものを揃える余裕もありませんでした。

生活保護を受給してからも日雇い労働をしていたので、

毎月給与明細を提出し、

生活保護支給額と、日雇い労働での収入との差額を、支給してもらうという形でした。

日雇い労働の収入+保護費で月収が12万円という状態でした。

その中から、家賃・光熱費・通信費等を払い、

残ったお金で生活に必要な物を買い揃えていかなければならないという状況でした。


当然、とてもしんどい毎日でしたが、

世間の人から見たら「働けるのに働いていない人」になる可能性もあると思います。

実際、日雇い労働ではありますが、働いていたので。

僕には僕なりの言い訳は勿論あるのですが、

「働けるのに生活保護を受給してる」

と言われてもしょうがないのかな、と思いながら毎日過ごしていました。

未だに、生活保護を申請するべきでは無かったのかなと思う時があります。










2012年7月21日土曜日

生活保護関連の報道に対する違和感

生活保護のついての報道を見る度になんだかヤキモキします。

「生活保護をもらって遊んで暮らしている」

みたいな話をよく見ますが、そんなの絶対無理です。

生活保護費だけで生活しようとしたら、本当にただ生きているだけの生活になります。


生活保護の不正受給は簡単? マスコミにダマされてはいけない(msnマネー 2012.7.18配信)

>建築作業員のBさん(47)は事故で、首の骨に重い障害が残り働けないので、
>生活保護をもらって生活をしている。
>6月の受給額は、生活扶助8万1610円、住宅扶助4万8000円、計12万9610円。
>治療費を含めて医療関係の費用はすべてタダだが、生活は決してラクではないという。
>「不正受給が注目されてから、
>テレビや週刊誌で毎月18万円もらって遊んで暮らしているみたいな話ばかりがでている。
>役所で聞いたら、『寝たきりか、重い障害がなければ18万円は支給できない』
>と資料を出して説明してくれた。
>担当者も『どうしてこんな話がでてくるのか……』と首を傾げていた」(Bさん)


「生活保護をもらって遊んで暮らしている」

「生活保護受給者はワガママだ」

「生活保護をもらっているヤツは怠け者だ」

確かにそういう人もいると思います。

ですが、そういった一部だけを取り上げて、

生活保護受給者のイメージを作り上げるというのは、

嫌な気持ちになります。


>10年前に池袋の喫茶店なんかでよく耳にしたヤクザやら詐欺師のエピソードが、
>「不正受給」とごちゃまぜにされている。
>自戒もこめて言うと、マスコミは「生活保護」というお題で話をかき集めて、
>その中で「強めのネタ」から記事にするからだ。

>先日、北海道釧路市が、
>2007年から2011年に生活保護を受給していた57人が覚醒剤取締法違反で逮捕され、
>支給停止になっていたことを明らかにした。

>保護費の一部は覚醒剤購入に充てられたとみられる、とマスコミは大きく報じたが、
>ここでダマされてはいけないのは、これはあくまで特殊な受給者の「使い道」の問題で、
>巷でいわれる「不正受給」とはちょっと次元が違う。

>犯罪者と、「もらえるモノはもらっておこう」というナメた一般人を、
>きっちりと分けて考える――これがこの問題のキモではないか。


本当にその通りだと思う。

この事件は、

「生活保護受給者」が「生活保護費を違法なモノに使った」という内容であって、

「不正受給事件」ではない。

「不正受給」というのは「もらえるモノはもらっておこう」という人。

そして、「本当に困っている人」もいる。

この辺りをごちゃ混ぜに報道した結果、

生活保護バッシングが盛り上がっているのかもしれないですね。



関連記事:生活保護申請時の審査の甘さ


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関連記事:「週刊ダイヤモンド」の生活保護特集を読んだ感想


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2012年7月20日金曜日

格差社会とフードスタンプとEMINEM

最近、生活保護に関する議論の中で、

「フードスタンプ制を導入するべきだ」

という話をよく耳にします。


フードスタンプ(Food Stamp)とは(Wikipediaより抜粋)

>アメリカ合衆国で低所得者向けに行われている食料費補助対策。公的扶助の一つ。
>形態は、通貨と同様に使用できるバウチャー、金券の一種。
>一般のスーパーマーケットでも使用できる。対象は食料品であり、
>タバコやビールなどの嗜好品は対象外となる。
>このため、嗜好品を購入しようとする者が、
>フードスタンプを売買する例が報告されており問題視されている。
>換金、売買などの詐欺が横行し、問題になっている。

フードスタンプと聞くと、僕はこの曲を思い出します。


映画「8mile」の主題歌、EMINEMの「Lose Yourself」という曲です。

この曲の中に、

俺には9時から5時の仕事はできないし/家族に穏やかな暮らしなんてさせてやれない 
フードスタンプじゃオムツも買えなんだぜ

というフレーズがあります。

初めて聴いた時は、僕はまだ高校生だったので、

何となくでしか理解出来なかったのですが、

今ではゾッとするくらいリアルに感じます。

日本もアメリカの様な超格差社会に突入して行くのかと思うと、

物凄く怖くなります。

エミネムもそうですが、

「極貧の環境で産まれ育った」というのは本人の責任ではありません。

貧しい家庭・親がいない・親がオカシイ等々、色々な話を普段聞きますが、

それは子供のせいではありません。

そして昔は、そういった少し特殊な環境で育った人でも、

仕事が出来ました。働く場所があったのです。

でも今は少なくなって来ています。

昨日のエントリ(生活保護費より最低賃金が低いというのは昔からだった)でも少し触れたのですが、

今まで、割と良い待遇で働いていた層の人達が、

最低賃金での労働や、低賃金での労働に流れ込んでいます。

身元保証人がいない人や、大学を出ていない人達が働く職場というと、

まず工場や物流や土木関係の仕事をイメージする人が多いかと思いますが、

そういったいわゆる「ブルーカラー職」のアルバイトにまで、大学卒の人が流れ込んでいる状況です。

そうなって来ると、

少しワケ有りな人が仕事に就ける機会というのが減ってきます。


こんなご時世ですから、

企業も「どうせ雇うのであれば少しでも不安材料が少ない人の方が良い」

と考えるのではないでしょうか。


「俺には9時から5時の仕事は出来ない」

この歌詞が物凄くリアルに感じてきます。。


関連記事:ホームレスが奮い立たされた日本語ラップ

2012年7月19日木曜日

生活保護費より最低賃金が低いというのは昔からだった

昨夜色々とネットを見ていたら、面白い記事を見つけました。


「生活保護が浮いて見えるのは、世の中が地盤沈下したせい」派遣村"村長"の湯浅誠氏がナマポ・バッシングを斬る(2012年7月17日配信)


>生活保護費よりも最低賃金が低いというのは、実は前からそうなんですよ。
>日本の最低賃金はもっと低かったですから。これまで随分、上がった方ですね。
>ただ、これまでは問題にならなかったんですよ。
>というのは、最低賃金で働いてる人が、さほど多くなかったからです。
>ただ、地方に行けば結構いたんですが、それは主婦パートの賃金だったんですね。
>ちゃんと夫にきちんと収入があって、
>お小遣い賃金ということで「賃金が低くても問題ない」と思われていたんです。
>「最低賃金が低い」という事実に、社会の関心が向いたことが実は、あんまりなかったんです。

>ところが、最低賃金で働く人が次第に増えていったわけですよ。
>今は東北とか地方に行くと、ハローワークで正社員ということで紹介されていっても、
>実際には最低賃金でフルタイムで働くことになる。
>いわゆる正社員と呼ばれる人でも、
>最低賃金にへばりついて生活する人たちが出てきたんです。
>「俺らがこの暮らしなのに何だ!」ということで、
>最低賃金と生活保護費の比較が切実な意味を持つようになってきたんですね。
>この図式自体は前からあったけど、
>生活がかかっている人が少なかったから問題にならなかったんです。


ちょっと前まで、最低賃金で働く層というのは、主婦パートか学生が多く占めていました。

ここ何年かで雇用が不安定になって来て、

本来なら最低賃金で働いていなかった層が最低賃金で働かなければならなくなっています。

僕もホームレスになって、日雇い労働で色んな現場に行ったけど、

主婦パートに混ざって、元気な30代くらいの男性のパート従業員をよく見ました。












上の図は、東京都の最低賃金の推移を表したグラフです。(参照リンク:年収ラボ

確かにずっと上がり続けてますね。

ずっと上がってはいるのですが、

最低賃金で働く人が増加しているというのがポイントだと思います。

今まで、最低賃金で働いている人というのは、

「旦那さんの稼ぎがある主婦」

「実家暮らしの学生やフリーター」という人達がメインだった為、

「生活保護以下の最低賃金なんかで働いてられるか!」なんて意見も出なかったのが、

「本来ならばもっと良い給料をもらっていた人達」が、

最低賃金での労働にどんどん流れ込んでしまっているんですね。

なので「逆転現象」なんて言い方をする人が出てきたと。

でも、逆転なんてずっと昔からしてたんですね。


現在、最低賃金での労働に生活がかかっている人が増加しているので、

やはり生活保護費よりも最低賃金を上げて行く様にしないと、

どんどん状況が悪くなって行く人が増えそうですね・・・


関連リンク:「生活保護受給は恥」という感覚

関連リンク:生活保護申請時の審査の甘さ

関連リンク:生活保護で贅沢出来るのは不正受給者だけ

関連リンク:生活保護を貰い出したからパチンコにハマる訳ではない


2012年7月18日水曜日

ホームレスがいる場所

最近、ホームレスと言うと、すっかりネカフェ難民をイメージする事が多くなったと思います。


ネカフェ難民という言葉自体は割りと最近出来た言葉ですが、

日雇いで稼いで、安宿に泊まるという流れ自体は、

西成等のドヤ街で生活している日雇い労働者と何ら変わらないと思います。

じゃあホームレスは今はネカフェに固まっているのかと言えば、そうではありません。

実に色々な場所に生息しています。

僕もネカフェ代が勿体無くて色んな所で寝てました。

意外と快適に(?)泊まれる場所も多く見つけれました。

ホームレスがどういう所で生息しているのか少し纏めてみようと思います。


①ネカフェ


ネカフェ以外にも、サウナや試写室が多いと思われます。

ネカフェ・サウナ・試写室だと、一泊大体2000円前後くらいです。

日雇い労働等で毎日収入があれば、こういった所を転々とするのは無理ではありませんが、

お金が手元に残る事なんてまず無いと思われます。

僕も一週間に数度、ネカフェ等で泊まっていたのですが、

疲れは全く取れなかったです。

ちゃんと寝るならサウナの仮眠室の方が数倍良かったですね。


②公園・河原

「ホームレスといえば公園か河原」というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。

実際僕も色々な公園を転々としていましたが、結構な人数を見ました。

ですが、以前僕もブログに書いた様に、

公園のホームレス対策は結構進んでいます。(関連記事:公園のホームレス対策

ベンチには、寝られないように仕切りが付いていたりするので、

そこで無理やり寝ている人も何人か見ましたが、

中には、シーソーの上で寝ている人もいました。

流石にちょっとビックリ。

ですが、公園の中でも一番ホームレスが過ごしやすい場所があります。

障害者用トイレです。


古い公園には無い事が多いのですが、

最近出来た、又は最近整備された様な綺麗な公園には、

障害者用トイレがある事が多いです。

あまり大きな声では言えませんが、僕も何回か寝た事があります・・・

快適に寝れる訳ではありませんが、

雨に濡れる事も、寝ている間に物を盗まれる事も無いので、安心かもしれませんね。

ちゃんと清掃されているトイレも多いですし。


③図書館

これも定番の様な気がします。昼間限定ですが。

家が無く、仕事も無いと、予想以上に暇です。

する事も、居る場所も無いというのはしんどいです。

ネカフェはお金がかかりますし、ずっと公園にいるのもしんどいです。

僕がホームレスになったのは夏になるちょっと前からだったので、

日雇いの仕事が無い日は地獄でした。

公園にいても暑い、ネカフェに行くお金も無い。

BOOK OFFにも行きましたが、ずっと立ち読みしているのもしんどいです。

マクドナルドに入って100円のコーヒーで粘るくらいしかありませんでした。

そんな時、図書館はすごく助かりました。

空調も効いていて、座って本が読める。ウォータークーラが設置されていたので、水も飲めました。

なので、ホームレスの人がいっぱいいます。

確かに図書館は快適ですが、本来ホームレスの為の場所では無いので、

利用していた僕が言うのもアレですが、何か対策は無いのかなぁと思います。

家が無い人の為の過ごしやすい場所はあっても良いとは思うのですが、

図書館は元々そういった為の場所ではないですし。

一般の利用者の方も少し迷惑そうにしていました。


④アパートに不法侵入

意外と多いです。

最新のオートロック・防犯カメラ付きマンションではなかなか難しいですが。

見るからに古びた、住人が少なそうなアパート・マンションの、

屋上付近の踊り場とか。

こういう場所も、捕まりさえしなければ、ホームレスにとって凄く安全なんだと思います。

雨風は凌ぎやすいですし、襲われる事も少なそうですし。

僕も何度か、自分が以前住んでいたマンション(いきなり追い出されたマンションです)の、

屋上で寝た事があります。

僕の場合は、納得の行かない理由で追い出されたので、

結構ヤケクソ気味に寝ていたのですが、

全く関係の無いマンション・アパートに不法侵入して、寝泊まりしている人も多い様です。


⑤車中泊

これはありそうであまり無いです。

車持ってるホームレスって、ホームレスの中でも勝ち組だと思います。

普通、ホームレスになる前に売りますし。

車があれば、恐らくネカフェなんかよりよっぽど快適にホームレスが出来ると思います。

ガソリン代が保てればの話ですが・・・

僕が話した事あるホームレスの人の中にも、

車中泊をしている人というのはいませんでした。


数を挙げればキリが無いですが、多いのは多分こんな所だと思います。

もっと何か面白いというか、意外な場所で寝泊まりしている人もいそうですが。



公園のトイレとか、アパートに不法侵入とか、

下手したら捕まっちゃいますので、

家が無くなったらおとなしく役所に行くのが一番良いと思います。。


関連記事:公園のホームレス対策

関連記事:「ネカフェ難民」からの抜け出し方

関連記事:日雇い派遣から抜け出せるかどうかは自分次第

2012年7月17日火曜日

ホームレスが奮い立たされた日本語ラップ

日本にももうすぐHIP HOPが根付くと思う。

少し前まで

「日本にゲットーなんて無い」

とか

「日本に外国のギャングみたいな悪い人はいないよ」

とか言われてたけど・・・

貧困とか治安の悪さというのは、比べるものじゃない。

生活が大変な地域・生活が大変な家庭で産まれ育って、

頑張って頑張って這い上がってきた人達の音楽があるというのは、

重要な事だと思う。

そういう音楽に救われる人が、きっとこれから増えると思います。

上の世代の人達からしたら、理解されにくいかもしれないけども・・・

僕は元々、長渕剛さんの音楽とかHIP HOPが大好きで、

ホームレスになった時、幸いにもiPodがポケットに入ったまんまだったので、

公園やネットカフェでずっとHIP HOPを聴いていた。

HIP HOPが無かったら、野垂れ死んでいたかもしれない。

僕がホームレス時代に毎日聴いていたHIP HOPを少し紹介しようと思います。


・ANARCHY
京都出身・在住のラッパー。

京都市伏見区という地域に「向島団地」という団地があります。

京都というのは色々と複雑な地域が数多くありまして、

元々、京都の他の地域に散らばっていた、

在日外国人や、低所得者層や、部落出身の人々等を、

移住させる目的で作られた団地です。

当然治安は最悪で、交番の出動回数は京都一という時期もあったそうです。

「てるくはのる事件」の犯人が飛び降りた団地としても有名です。

今では多少治安は良くなりましたが、

ANARCHYさんは、昭和56年生まれで、僕より4歳年上。

恐らく、向島団地が荒れに荒れていた時代に、青春を過ごしている方だと思われます。


見た目は少し怖いですが、とても良い歌詞。

「夢掴め働いて」という言葉に、

サラリーマン時代から今に至るまで、何度も何度も助けられています。


ANARCHYさんのラップからは、底辺で産まれ育った人の、

「もがき」がかなり強烈に感じられます。

もがき方すら分からない、どうやったら良い生活が出来るのか分からない、

それでも上を見て、もがき続ける。

そういった苦しみが強烈に表現されていると思います。



・SHINGO★西成
その名の通り、大阪の西成区出身のラッパー。

SHINGO★西成さんは、西成区で生まれ育ち、大学卒業後、福祉関係の仕事をされていた様で、

やはり、見て来たものが普通の人とは違うのだろうなと思います。


↑の「ILL西成BLUES」という曲のPVは、西成区で撮影されています。

西成区の職業安定所の内部やその周辺、三角公園の様子も映っています。

やはり、言葉の重みが違います。

「観光気分ならば来んでええ アンポンタン お目々開いて耳かっぽじって

肌で感じて黙ってくれればそれでええ」

この場所で実際に産まれ育った人じゃないと出てこない言葉。

最近ネットでもよく西成の事が取り上げられる様になり、

まさに観光気分で西成へ行ってカメラを回したり茶化したりしている様な人も増えている様です。

ニコニコ生放送で、飛田新地を隠し撮りする様なユーザーもいる様です。

そういったモノを見る度、僕は何だかとても嫌な気持ちになります。


大阪という土地柄のせいか、SHINGO★西成さんのラップには明るさが漂っている様に感じます。

聞き取りやすいラップに、強烈なメッセージ。

現実を伝えるだけではなく、とても励まされます。

「頑張っても良い事なんて無い」というのを誰よりも分かっている方だと思うのですが、

それでも「諦めるな、頑張れ」というメッセージを色んな曲で発しておられます。

こういう人がもっともっと有名になって欲しいなと思います。

きっと、勇気づけられる人も多いはず。

もうすぐ、新しいアルバムが発売されます。

僕も勿論予約しました。

今から楽しみで仕方ないです。



・般若
東京の世田谷区出身のラッパー。

僕が一番好きなラッパーです。

ホームレス中、般若さんの曲は毎日欠かさずに聴いていました。

般若さんは、長渕剛さんに影響を受けているラッパーで、

長渕剛さんの桜島ライブにも出演されています。

ラップの隅々から、90年代の長渕剛さんに似た雰囲気を感じる事もあります。

少し、暑苦しい部分もあるかと思いますが、

純粋に、男としてカッコイイと思います。

こういう、まさに「日本男児」という方がもっともっと有名になって、

もっともっと良い影響を与えてくれたらと思っています。

「一人で闘う男」と紹介される事も多い様ですが、

本当にその通りだと思います。

仲良しこよしではなく、一人で全て背負って生きている人なんだと思います。

ラップの端々からそういった部分が見えてくる様に思います。







他にも、ホームレス中によく聴いていたHIP HOPはあるのですが、

特によく聴いていたHIP HOPミュージシャンを紹介させて頂きました。

あまり上手く紹介出来なかったかもしれませんが・・・

日本のHIP HOPをよく聴く人にはとても有名な方たちですが、

HIP HOPにあまり興味の無い人にはまだまだ知られていないのではと思います。

他にも良いラッパーは日本にもいっぱいいるので、

またブログに書いてみようと思います。

僕のブログを読んでいる方の中に、少しでもHIP HOPに励まされる方がいればと思います。

HIP HOPというと、ネット上では若干茶化した様な取り上げられ方をされる事が多く、

その度に僕は、何だか少し悔しくなります。

でも、そういった事もこれからどんどん減って行くと思います。

他のジャンルの音楽では表現されない、リアルさ。

派手なアイドル、高価な楽器を持ったバンド。

そういった音楽には全然心が動かないという人も多いと思います。

もしかしたらHIP HOPなら、苦しい毎日を送っている人達を変えられるかもしれない。

HIP HOPを聴いた若い世代の人達が、

「もっと頑張ろう」

「もっと出来る事をやって生活を良くしよう」

「今はしんどいけど必死に頑張って夢を叶えよう」

そんな考え方に代わるかもしれない。

HIP HOPにはそれだけの力があると僕は思っています。


あまり上手く紹介出来ませんでしたが、

少しでもHIP HOPに興味を持つ人が増えたらと思っています。

去年は僕はホームレス中で、ライブとかにも全然行けなかったのですが、

今年は行けたら良いなぁと思います。

2012年7月15日日曜日

「生活保護受給は恥」という感覚

最近、生活保護について、ネット上でも実社会でも、

以前より多く語られる様になったと思います。

ほんの数年前まで、「生活保護」という言葉が日常会話に出る事なんて無かったのですが。

セーフティネットについて詳しく知らない人達が多い状況の中で、

語られる機会が増えたのは良いと思うのですが、

それだけみんな働いていても先が見えないという状況になっているという事でもあると思うので、

良い事なのか悪い事なのか分からなくなってきます・・


生活保護受給は「恥ずかしい?」に「Yes」が46.3%(週プレニュース)
(2012年6月19日)


>合計1000人を対象に生活保護に関するアンケート調査を行なったところ、
>「生活保護を受けることを『恥ずかしいことだ』と思いますか?」という質問に、
>46.3%が「はい」と回答。約半数の人が恥ずかしいと思っていることが分かった。

>思っていたよりも高い数値ではあるが、
>この背景には、河本氏のイメージが大きく左右しているのかもしれない。
>というのも、「子供は親の生活の面倒を見なければならないと思いますか?」という問いには、
>64.3%の人が「はい」と回答しており、
>子供が親を扶養するのは当然だという意識がかなり浸透しているからだ。
>だが、根本的な制度の問題になると、多くの人々が厳しい目を向ける。
>「生活保護の審査について、あなたの印象は?」という質問には、
>72.1%もの人が「甘すぎる」と回答。
>消費社会研究家で、カルチャースタディーズ研究所代表の三浦展氏もこう語る。

>「もはや、政府の税金の使い方に国民はあきれ果てているんです。
>本来、官僚が税金をフェアに分配していれば問題はないけれども、
>どうもこの10年、20年を見るとブラックボックス化している。
>だから、生活保護費も支給した成果が見えるようになる仕組みをつくらないとダメです」

>一方でこういう意見もある。貧困問題に取り組む作家の雨宮処凛氏だ。

>「今は、河本さんの件で生活保護制度自体に批判が高まっているようですが、
>生活保護は捕捉率(受給資格を満たしている人のなかで、受給が行き届いている率)
>が約2割程度しかなく、先進国でも日本は最低ランクです。
>つまり、受けられはずの人が受けられないというのが現実です」

>制度ではなく、仕組みに問題があるとする雨宮氏。
>現在、日本における生活保護受給者は約210万人。今後も増加するといわれているが、
>そのときに今の制度や仕組みが維持できているとも思えない。

>「『働かずに税金をもらって生活をしている』という批判がありますが、
>果たして、そんな生活に満足できる人がどれだけいるのでしょうか。
>私はほとんどいないと思います」(前出・雨宮氏)

>結局のところ生活保護は、
>脱することを前提とした“一時的”な保護制度だという認識を深めて行くしかない。


僕は正直な所、生活保護受給が恥ずかしいという気持ちは、

あった方が良いと思います。


ですが、それは受給している側が持つべき意識であって、

それを世間が押し付けるのは、違うと思います。

別に、「恥」という感覚でなくても良いのですが、

「今の自分はあまり良くない状況だから早く抜けだそう」

という気持ちが無ければ、ずっとズルズル行ってしまいます。


実際、病気や怪我や、何か事情があって働けなくなってしまった。

便りになる身内もいないので、生活保護を受ける。

これは当然です。

生活保護を受けずに死んでしまうより、よっぽどマシです。


ですが、生活保護受給中の生活がよくなる事は、

100%有り得ません。

上の記事にも書いてありますが、


>「『働かずに税金をもらって生活をしている』という批判がありますが、
>果たして、そんな生活に満足できる人がどれだけいるのでしょうか。
>私はほとんどいないと思います」(前出・雨宮氏)


これは僕も同意見です。

毎月、生活に最低限必要なお金を支給され、

最低限必要な物にそのお金を使います。

本当に「生きているだけ」という状況。「死ぬよりはマシ」という状況。

生活が出来なくなるという事が無い代わりに、

生活が良くなるという事もありません。


>結局のところ生活保護は、
>脱することを前提とした“一時的”な保護制度だという認識を深めて行くしかない。

勿論、どうしても働けないという状況の人は別ですが、

何らかの事情があり、生活保護を受給していて、そのうち働ける様になった。という人は、

やはり抜け出す為の努力はするべきです。


その為にはやはり、

「生活保護受給は恥ずかしい」

「今の自分の生活は底辺だ」

という気持ちがある程度あった方が良いのじゃないかなぁと思ったりします。


失敗しても、レールから外れても死なない様に、

セーフティネットというものがあります。

ですが、「死なない」のと「満足な生活を送る」というのは、

全然違うと思います。


生活保護受給者に対して、

「税金で良い暮らししやがって」

みたいな意見をよく耳にしますが、

月々最低限の生活費だけ支給されて、

毎日朝から晩までゴロゴロする。

そんな生活が「満足な生活」と呼べるのでしょうか。

生活保護を受給しながら贅沢な暮らしが出来るのは、

他に収入源等がある、不正受給者のみです。

やはり、「一時凌ぎの為の制度」という認識は大事だと思います。


関連記事:生活保護で贅沢出来るのは不正受給者だけ

関連記事:ホームレスから社会復帰する難しさ


ホームレスから社会復帰する難しさ

何かの理由で一回ホームレスになってしまうと、社会復帰は想像以上に困難。


僕自身、ハッキリ言って甘く見過ぎてました・・・

ちょっとしんどいだろうけど余裕だろう。と思っていました。

ホームレスになんて絶対なっちゃいけない。

ホームレスから社会復帰するのが困難な理由として、一番しんどいのは、やはりお金の面です


一度ホームレスになってしまうと、何もかも持っていない状態になります。

服も、日用品も、何もかもを揃え直さなければなりません。

何とか生活保護が受給出来たとして、

部屋の入居費用は生活保護の方で出してもらえます。

その後、家具購入費用として、20000円前後が支給されます。

生きる為に最低限必要な、布団・冷蔵庫等を買う為のお金です。

その後、毎月12~13万円程、生活保護費が支給されるのですが、

家賃・光熱費等を払った残りのお金で、

洋服や、必要な物を買い揃えなければなりません。

TVなんてとてもじゃないけど買えません。(未だにTV持ってないです(´Д`))

僕は、まず普段着る洋服が欲しかったです。

ホームレス時代、Tシャツ2枚・ズボン1本・靴下2着・パンツ2枚しかありませんでした。

なので毎日洗濯します。

簡易宿泊所は洗濯機の利用は無料だったので、毎日洗濯出来ましたが、

アパートを借りてからは、コインランドリーを使用しなければならなくなりました。

洗濯・乾燥で1回400円。

流石に勿体ないと思い、ユニクロ等で何着か買い足しました。


生活保護費が12万円。家賃・光熱費・携帯代・食費を引くと、

手元に残るのは大体2万円あるかないかくらいです。

その中から、生活に必要な物を少しずつ買い足して行きます。

就職活動の為PCを買いたくて、一日一食でしばらく過ごしてました。

スーツを買うなんて何ヶ月かかるんだろう・・・と思っていました。

タオル1枚買うのにも躊躇していました。


その中で、仕事を探すのはとても困難です。

正社員ではなく、アルバイトですら困難でした。

ホームレスの多くは、身元保証人がいません。

なので、身元保証人が必要なアルバイトはまず無理です。

誤魔化せば可能かもしれませんが・・・

身元保証人が不要で、なおかつ、生活費が稼げるアルバイトとなると、

限られて来ます。

生活が安定していない状態で、

いくつもいくつも面接を受け続けなければなりません。

結局、「派遣労働が手っ取り早い」という状況になってしまいます・・・


そういう状況の中、

「じゃあもう生活保護で良いや。贅沢は出来ないけど死ぬ事は無いし」

と思ってしまう人も多いかもしれません。


年齢的・肉体的に、元気に働ける人の場合、

派遣でも何でも、働いていた方が、生活保護よりは生活が良くなるチャンスがあるのですが、

疲れて諦めてしまう人も多いのかなぁと思います。





2012年7月12日木曜日

簡易宿泊所での生活

簡易宿泊所での生活。


「簡易宿泊所 ホームレス」とか「簡易宿泊所 入所」等のキーワードで、

当ブログにたどり着いている人も多い様なので、

僕が入所していた簡易宿泊所での生活について少し書きます。

※入所する宿泊施設によって、環境は全然違ったりするみたいです。


僕が入所していた簡易宿泊所は、民間が運営しているホテルの数フロアを、

役所が借り上げているというスタイルでした。


部屋は10畳程。

一部屋につき、2人~4人程で生活します。

各部屋には、TV・エアコン・ユニットバスが付いています。PCは流石に無かったです。

喫煙に関しては、喫煙所を利用する様に言われました。

また、ホテルの洗濯機・乾燥機を自由に使えました。

食事は三食全てお弁当でした。勿論無料です。

民間の、お弁当の宅配サービスを使っている様でした。

部屋の清掃もホテルの人がやってくれました。

入所期間は基本的には一週間ですが、

役所に行って、延長の手続きを取れば、もう一週間延長出来るという仕組みでした。

中には半年近くダラダラ入所している人もいました。


門限も無く、起床時間も無く、誰かが見まわりに来るという事も無いので、

ちょっとした無法地帯になっていました。

酒盛り、不正受給についての情報交換、薬物売買についての情報交換、

「シノギ」についての情報交換・・・

そういった話に無縁の入所者達は、

一日中TVを見ているか、ゴロゴロして過ごすか、日雇い労働に行っていました。

若い、女性のホームレスの入所者もいたので、

当然、ナンパをしているチンピラも多かったです。

お酒を奢ったり、大麻や薬物をチラつかせたりして、

女の子と仲良くなろうとする人も多かったです。


生活保護を不正受給する目的で宿泊所に入所して、

一週間の半分以上は友人宅等で寝泊まりしている人も多い様でした。

宿泊所に入所している事実さえあれば生活保護の申請は簡単に出来るからです。


賃貸の仲介業者さんに聞いた話ですが、

僕の入っていた宿泊所はかなり過ごしやすい部類に入る様です。

アル中や、精神疾患がある人の場合、

もっと環境の悪い宿泊所に入所させられる事もある様です。

確かに、僕がいた宿泊所では、

夜中に奇声を上げる人や、日常会話が困難な人というのは、

全入所者の1割程度だったんじゃないかと思います。

もっとも、民間のホテルを借り上げているという形態だったので、

ホテル側に迷惑がかからない様にという配慮かもしれませんが。


そんな環境でも、不思議と喧嘩は少なかったです。

妙な仲間意識みたいなのがある様でした。

チンピラも、僕みたいな元サラリーマンも、博打狂いも、前科持ちも、無気力な人も、

何故か仲良くやっていました。

雰囲気は、観光地によくある「ゲストハウス」に近いのかもしれません。

もうあんな所には二度と戻りたくは無いと思っているのですが、

嫌な思い出というのも特に無かったりはします。


ただ、正直、環境が良すぎる気はしました。

全て税金で賄っているのだろうと考え出すと、とても申し訳ない気持ちになったのを覚えています。

これだけ環境が良かったら、

出て行こうとせず、半年近く居座る人がいるのも当然だと思います・・・


関連記事:「一時宿泊所はチンピラだらけ」

関連記事:「僕が見た不正受給の手口」

関連記事:「僕が見た若年女性ホームレス」

関連記事:「僕が見た老夫婦ホームレス」

2012年7月11日水曜日

障害のあるホームレス②

以前、僕もブログに書いたのですが障害のあるホームレス

障害を持つホームレスはとても多いです。


障害者を路上生活から救え!(YAHOO!JAPANニュース) 

(7/11(水)11時2分配信)


↑のニュースにも載っているのですが、

軽度の知的障害・精神疾患を患っているホームレスは多いです。

それが先天的なものか後天的なものかは分かりませんが。


>一人ひとりに声をかけながら、
>地元でホームレス支援を続けるNPO法人「TENOHASI(てのはし)」のメンバーが、
>おにぎりやパンを配る。その中のAさん(41)は数年前、路上でおにぎりをもらう立場だった。
>「助けられたので、恩返しがしたい」と、活動に参加している。

>Aさんには軽い知的障害がある。
>それが分かったのは、支援を受けて路上生活をやめた2010年のことだ。
>高校を卒業後、工場などで働いてきたが、人間関係を保つのが苦手。
>仕事は長続きせず、最後は路上へ。

>「仕事を探しても断られる。どうすればいいのか」


同じように、軽い障害・精神疾患があっても、

「気付いていない」人も多いと思います。

教えてくれる人もいないのだと思います。


>「てのはし」代表で精神科医の森川すいめいさん(38)らが、
>炊き出しに集まったホームレスの男性約170人に面談し、精神疾患の有無などを調べた。
>その結果、34%に知的障害の疑いがあることがわかった。
>うつ病(15%)、統合失調症などの精神病(10%)の割合も高かった。

>森川さんは、
>「障害が軽く、なんとかがんばってきた人が、雇用の悪化で路上生活に陥っている」とみる。
>コミュニケーション能力が低く、職場でのいじめに遭いやすいほか、
>生活保護を受けて宿泊所に入っても、集団生活が苦手で路上に戻る人もいる。
>行政の窓口で自分の置かれた状況をうまく説明できない人も多い。

>障害のあるホームレスの支援は全国的な課題だ。
>NPO法人「ホームレス支援全国ネットワーク」の調査でも、
>約4000人の元ホームレスのうち、疑いがある人も含め、15%に精神障害、
>10%に知的障害があった。


「働けないほどじゃない」「会話が出来ない程じゃない」程度の障害・精神疾患であれば、

本人も周りも気づかないのかもしれない。

家族がいなかったり、関係が希薄だったりすると尚更だと思う。


そして、「今自分がどういう状態なのかが分からない」という人が、

自分から役所の窓口に行くとは僕は思えません。

何が何だか分からないまま路上を彷徨い続けている人も多いと思います。

そういう人を無理やり簡易宿泊所に連れてきても、

ほとんどの人が逃げ出します。

かと言って、無理やり縛り付ける訳にも行きません・・・


「無理やり施設に押し込む訳にはいかない」

「でも路上を彷徨っているのは問題だ」


そもそも制度って、その制度の事を理解出来る人にしか使えないんですよね・・・


関連記事:障害のあるホームレス


2012年7月10日火曜日

正直ホームレス、拾った80万円を届け出る=ブラジル

【こぼれ話】正直ホームレス、拾った80万円を届け出る=ブラジル(時事ドットコム)

>【サンパウロ9日AFP時事】
>ブラジルのサンパウロの橋の下で暮らしているホームレスのカップルが9日、
>歩道で2万レアル(約80万円)が入ったゴミ袋を拾い、すぐに警察に届け出た。
>警察によると、2人は夜明けにぶらぶら歩いていたところ、警報がなるのが聞こえた。
>何だろうと思ってその方向に近づこうとして、ブリーフケースとゴミ袋につまづき、
>現金を発見した。
>2人はすぐに近くの警備員に連絡し、警察を呼んでもらった。
>警察官が到着すると、2人はすぐに見つけたお金を差し出したという。
>警察はこのお金は先週、日本料理店から盗まれたものの可能性があるとみている。
>警察は、2人がお金を持って逃げる機会があったのにそうしなかったのは、
>非常に感心なことだとしている。
>お金を見つけた男性の方はマスコミに対して、
>収入はリサイクル可能なゴミを集めて売って1日に7ドルちょっとだと話した。
>男性は、「母から決して盗んではいけないと教えられた」と語った。
>〔AFP=時事〕(2012/07/10-11:18)


ホームレスには意外と(?)こういう人が多いです。

めちゃくちゃ頑固だったり正直だったり。


ホームレスが生活保護をもらわない理由として(精神障害等がある場合を除きますが)、

「そんなものに頼りたくない」というのがあります。

僕もその中の一人でした。

昨今の、雇用の不安定化で、真面目に働いていたのに、

あっという間にホームレスに転落してしまったという人も多いです。

「今までちゃんと働いてきたのに生活保護なんて受けたくない」


という思いのままネカフェ難民を続けている人も多いのでは、と思います。

事実、僕が簡易宿泊所に入っていた時、不正受給狙いのチンピラは別ですが、

「生活保護を受けたくない」と言っている人が何人かいました。


僕も生活保護を申請するまでは悩みっぱなしでした。


「もっとギリギリまで頑張れたんじゃないか。」

「朝から晩まで休みなく働いてお金を貯めれたんじゃないか。」

「何で生活保護の申請なんてしなきゃならないんだ、毎日働けるじゃないか。」

「もっと貰わなくちゃいけない人が他にいるんじゃないか。」

「一日一食でも死ぬことは無いだろう。」

「もっと頑張れないのか。」

「自力で這い上がれないのか。」


今でも後悔する事があります・・・